![]() |
- 01/07 「欲望の思想」の身体主義と、「身体の工学化」について
- 11/10 大学能楽サークルには「内向き」な人たちが集まることについての考察から、「不器用な人たち」の文化史まで
- 09/25 株主の共同相続と「準共有」
- 09/22 美容師さんと私
- 09/17 働き方改革と管理職
This is new entry
私が稽古を再開しようと思うに至ったのは、一つには「責任」という問題があるのです。
650年も続いている伝統芸能の世界に片足の先っちょくらい突っ込んでしまった以上、もうそれは、その世界の一端にいると言ってもいいわけで、そういう状況にいる人間が、その責任を何らかの形で還元していく必要性は前から感じていたのですが。
「責任」というのは、教育的な責任、とは違うと思います。曲がりなりにも70年続いている伝統のクラブに所属して記念の行事で能の舞台に上がらせてもらったことの意味、について、その重みを一言で表現するならそれは、責任、という言葉にしかならないのではないか、という意味ですね。
「還元」というのは、先輩が後輩に対してする教育的配慮、というのではなく、もっと広い、文化的、社会的な意味での還元、ということを考えています。広告メディア的なことをやろうというのでもないです。そうではなく、私自身がそれを「体現」していくことが還元なのではないかと最近は考えています。
ここに至るまでにはそれなりの時間がかかったのだけど、一つには、その「責任」の問題をどう捉えたらよいのか、自分でも葛藤があったからです。安易に回帰することは許されなかった。所謂「ナショナリティ」から距離を取りたいという気持ちもあった。
「能楽」に対する近年のメディアの風潮というか、動きに対して私は少し違和感を持っていて、それは「スーパー歌舞伎」的なものを能楽に導入していこうとする動きに対する反発みたいなものです。でもまあ、それはここでは大した問題じゃない。私自身の「責任」というのは、もっと個人的なものだから。
先生にとって能楽との出会いは必然だったのかもしれないが、私はまだその境地には至っていない。一生至らないかもしれない。だから、「責任」という言葉で胡麻化しているとも言える。その胡麻化しに、まず身を委ねてもいいのかもしれない。というより、そうせざるを得ない。
「責任」というのは「必然」の代替物なのだ、ということです。必然に至らない、辿り着けないから、責任をとる。必然を覚知できる人ならば責任という言葉は使わないでしょう。
能楽の持つ重力に引かれている、それを人生におけるマクロな次元で捉える言葉を私は知らない。しかし、私が探究しているテーマになくてはならないものがそこにあることは確かで、だから本当は責任という超自我的表現が適当でないことはよく分かっているつもり。
そもそも何故私が能楽から距離を取っていたのかと言えば、一つには私が西洋史に耽溺していたからでもあります。ナショナリティから一歩身を引く必要性があった。言語とナショナリティの問題が私の研究テーマだったからです。
就職してからは法制史の方向に関心が移ると同時に、ナショナリティを体現する必要性に迫られるようになった。それまで客体的なテーマであったナショナリティを、自ら引き受けなければならない立場になった時に、それまでのバランス感覚を維持することが困難になっていったのです。
ナショナリティへの単純な回帰というのは許されない。一度距離を置いたものを身に引き受けることで内在化するだけでは幼児退行と同じであるから、そこに葛藤があった。何らかの形での止揚、アウフヘーベンが必要であったわけです。
結婚はその端緒になった。私の中で新たな糸口が出来たように思う。一言で言えば、身体の組成が変化した。二胡の音色が何かを齎したのかもしれない。それまで客体化、主体化の狭間で揺れ動いていた能楽/ナショナリティが少しづつ、自分の身体の中で一定の位置を持つようになっていったように思う。
責任というのは、だから方便だ。回帰するのでもなく、退けるのでもない距離感を実現するための経路に過ぎない。そして私は責任という表現が好きではない。
これからの10年、20年を見据えて、私は自ら選択をしている。どこに辿り着くのかは知れない。しかし、今必要なことだけは知っている。
650年も続いている伝統芸能の世界に片足の先っちょくらい突っ込んでしまった以上、もうそれは、その世界の一端にいると言ってもいいわけで、そういう状況にいる人間が、その責任を何らかの形で還元していく必要性は前から感じていたのですが。
「責任」というのは、教育的な責任、とは違うと思います。曲がりなりにも70年続いている伝統のクラブに所属して記念の行事で能の舞台に上がらせてもらったことの意味、について、その重みを一言で表現するならそれは、責任、という言葉にしかならないのではないか、という意味ですね。
「還元」というのは、先輩が後輩に対してする教育的配慮、というのではなく、もっと広い、文化的、社会的な意味での還元、ということを考えています。広告メディア的なことをやろうというのでもないです。そうではなく、私自身がそれを「体現」していくことが還元なのではないかと最近は考えています。
ここに至るまでにはそれなりの時間がかかったのだけど、一つには、その「責任」の問題をどう捉えたらよいのか、自分でも葛藤があったからです。安易に回帰することは許されなかった。所謂「ナショナリティ」から距離を取りたいという気持ちもあった。
「能楽」に対する近年のメディアの風潮というか、動きに対して私は少し違和感を持っていて、それは「スーパー歌舞伎」的なものを能楽に導入していこうとする動きに対する反発みたいなものです。でもまあ、それはここでは大した問題じゃない。私自身の「責任」というのは、もっと個人的なものだから。
先生にとって能楽との出会いは必然だったのかもしれないが、私はまだその境地には至っていない。一生至らないかもしれない。だから、「責任」という言葉で胡麻化しているとも言える。その胡麻化しに、まず身を委ねてもいいのかもしれない。というより、そうせざるを得ない。
「責任」というのは「必然」の代替物なのだ、ということです。必然に至らない、辿り着けないから、責任をとる。必然を覚知できる人ならば責任という言葉は使わないでしょう。
能楽の持つ重力に引かれている、それを人生におけるマクロな次元で捉える言葉を私は知らない。しかし、私が探究しているテーマになくてはならないものがそこにあることは確かで、だから本当は責任という超自我的表現が適当でないことはよく分かっているつもり。
そもそも何故私が能楽から距離を取っていたのかと言えば、一つには私が西洋史に耽溺していたからでもあります。ナショナリティから一歩身を引く必要性があった。言語とナショナリティの問題が私の研究テーマだったからです。
就職してからは法制史の方向に関心が移ると同時に、ナショナリティを体現する必要性に迫られるようになった。それまで客体的なテーマであったナショナリティを、自ら引き受けなければならない立場になった時に、それまでのバランス感覚を維持することが困難になっていったのです。
ナショナリティへの単純な回帰というのは許されない。一度距離を置いたものを身に引き受けることで内在化するだけでは幼児退行と同じであるから、そこに葛藤があった。何らかの形での止揚、アウフヘーベンが必要であったわけです。
結婚はその端緒になった。私の中で新たな糸口が出来たように思う。一言で言えば、身体の組成が変化した。二胡の音色が何かを齎したのかもしれない。それまで客体化、主体化の狭間で揺れ動いていた能楽/ナショナリティが少しづつ、自分の身体の中で一定の位置を持つようになっていったように思う。
責任というのは、だから方便だ。回帰するのでもなく、退けるのでもない距離感を実現するための経路に過ぎない。そして私は責任という表現が好きではない。
これからの10年、20年を見据えて、私は自ら選択をしている。どこに辿り着くのかは知れない。しかし、今必要なことだけは知っている。
PR
COMMENT