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とりあえず日々考えたことを書いていこうと思う。
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何を隠そう、私は美容室という場所が好きである。




特に何が好きだというわけでもないのだけど、あの空間にいる時間というか、何も考えずに淡々と心地よい気分になっていくのが実に気持ち良い。髪も切ってくれるマッサージ店のようなもの、だと思っている。




最近はスカイツリーが見える場所にある美容室に通っていて、そこに通い始めてからそろそろ一年経つのだけど、最近になって私の頭を手掛けてくれた美容師さんが、実に感じのいい人なのである。




もちろん、今までの人が感じが悪かったわけではない。満足していなかったわけでもない。ただ、今回担当になってくれた人は非常に優秀で、もっと言うと、私が今まで出会った美容師さんという人種の中で最も優秀だと感じている人なのである。




何をもって優秀なのか、というか私にそれを語る資格があるとも思えないのだけど、とにかくその人はいい。彼はこれからどんどんいい仕事をしていくんだろうな、と思える、そんな人。




まず、話し方がいい。客を心地よくさせるトーンとスピード。話術が巧みであるというよりも、人を心地よくさせる話し方に長けているのである。これは私の考える「よい美容師」の第一条件である。しゃべりまくる人は嫌いだし、かと言ってあまり陰気臭いのも不安になる。ちなみに私はあまり話さない。美容院に行くと死ぬほど話さない。只管沈黙して寝たふりをし続ける私でも彼の有能ぶりはわかる。なぜかというと、妻が彼との会話の内容を私に話してくれるからである。(夫婦共に同じ美容室に通っていて、妻も彼を指名するのである)




外国人と付き合っているらしい、最近喧嘩したらしい、ハネムーン的なものは沖縄になるらしい、渋谷のいいとこに住んでるらしい、とか個人情報ダラダラなのだけど、そんなところからも彼の有能ぶりが伝わってくる。私は妻の話を通じて得た彼の情報を携えて、何食わぬ顔をして彼を指名するのである。そして終始沈黙し続けるのである。




髪を切る時に客のオーダーを聞くのは当然として、相手の頭の中にあるイメージを掴み取るのが実に上手いと感じる。たいしたオーダーもしていないのに、細部まで、かなり自分のイメージに近い形にもっていってくれる。更に、要所要所できちんと声をかけてくれる。~するから~しますね~、とか、~とバランスをとるためにこっちも揃えますね~、とか、とにかく仕事が丁寧である。丁寧で、しかも声が優しいので気持ちよくなってしまう。新手の風俗みたいだ。




こんなに優れた美容師さんを私みたいなものが指名してよいのだろうか、と思ったりもするし、話術が巧みなのに私みたいな朴念仁ではさぞかし仕事に張りがないだろうな、と余計な気を使ってしまいそうになるが、そこはぐっとこらえて朴念仁に徹する。意地でも会話はしない。それが私のプライド。最近では別の美容室にも出張するようになったらしい(これも妻からの情報である)。やはり売れっ子は違うなと思うし、ますます私のようなものが指名しずらくなるのだろうが、そこはやはり彼を指名し続ける。もうやめてくださいと言うまで指名し続ける。




彼の商業価値を考えると美容室の代金は実に安い。以前、ツイッターで、オーストラリアなどと比べて日本の美容師がいかに安く買いたたかれているか、と言ったつぶやきを目にしたが、それもわかる。客のイメージを的確に掴み、優れた話術と技術を持つ彼のような美容師さんはもっとその専門性を評価されてしかるべきだと思う。美容師というよりも、「美容士」という名称の方が相応しい……。




……などと少し真面目なことを書いてしまったが、基本的に私は美容室で会話はしない主義である。その辺で会った人よりも、美容師さんとする世間話のほうがハードルが高いと感じる。何故かというに、まず自分の髪をいじられているので、自分の内面のイメージを探られているような気がして面映ゆいというのもあるし、営業トークに乗せられていい気になってしまう自分が痛々しいというのもあるし、そもそもこれから何度も利用することになるのにプライベートなことをダラダラ曝け出してしまうことに抵抗がある(他人のプライベートは気になるくせに)、というのもある。などと、いろいろ書いたが、要するに世間話というものがそもそも苦手なのである。




美容師さんに自分の美的イメージを伝える面映ゆさ、というのは、洋服屋さんで店員に自分の好きな服装を伝える時の面映ゆさと同形のものだろう。美的イメージというものは、こうなりたい、こうでありたい、という赤裸々な欲望そのものだから、そういう内面的なテーマを明け透けに話すのは難しい。そういうことに抵抗がない人は、まあ、どうでもいい。気にしない人は気にしないのだ。しかし、なぜ美容室に行くと世間話をしなければならないのだろう。




世間話というものが難しいのは、ありきたりなことをありきたりな感情を交えて話さなければならないからかもしれない。今日は暑いですねえ、とか、三連休どこ行くんですか、とか、趣味とかあるんですか、とか。暑い日は暑いに決まっているし、休みの日は家でゴロゴロして本を読んでいるのである。こんなクソつまらない情報をあえて共有しなければならない理由とはなんだろうか、と考えてしまう。いや、それは話のさわりにすぎないのだ、話をどんどん展開していけばそれなりに面白くなるのだ、と、そりゃあ、そうかもしれないが、そのために私の貴重な瞑想の時間をくだらない世間話を面白く展開していくためのエネルギーに使ってしまっていいのだろうか。




思うに、世間話が好きな人というのは口をついて自然にそういう話ができる人たちなのである。私は口が堅いので知り合いともなかなかそういうフランクな話はしない。基本的にむっつりスケベであるし、むっつりスケベであることにそれなりに誇りと矜持を持っている。むっつりスケベで何が悪い。




美容師さんは好きだが美容師さんとの会話は好きではない。それとこれとは別の話だ。私は彼を指名し続けるし、意地でも会話はしない。
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