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とりあえず日々考えたことを書いていこうと思う。
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美人ってよほど精神力がないと自分の内面を深める、悪く言えば、「根暗」な方向に成長できないんだな、って思うことが多々ある。そういう意味では、己の美しさに打ち克つことは醜さと対峙することより難しいのかもしれない。



モデル・哲学者なんて聞いたことがない。容姿が美しい、つまりその社会・文化の中で理想とされる均整美に近い容姿を備えている人ほど哲学をしにくい環境に晒されることが要因なのだろうか。



あるいは、「金髪女」とか「巨乳」に対するような「美人」に対するステレオタイプが、当人が内面を深化させる傾向を削いでしまうのかもしれない。貴方は既に恵まれたものを持っているのだから、深刻になる必要ないでしょう?というような無言の圧力とか。



そうまでして根暗で深刻な人になる必要があるのか、といえばたぶんない。でも哲学者とアイドルの対話とか見てると、ああ罪作りな連中だな、と思うわけよ。別にどちらを馬鹿にしてるわけではないですよ、念のため。




生まれ落ちた時からの宿命なんてものは他人と交わることでしか顕在化しない。誰とも出会わなければ自分が「孤独」であることにすら気づかないでしょう。



世の美男・美女は完全密室の中で育てるべきだと思いますね。彼らが世にでて、自分の美しさに気づく前に、哲学者にしてしまうのだ。



そもそも容姿における美と精神性を両立させることの難しさこそが多くの無辜の民を死への欲望から救っているんだ。



だから密室において培養された美男・美女の哲学者なんていう人外が世に出てはならない、というのもそれは道理だ。だからこそそうしたプロジェクトを成人してから幼児退行して為し遂げようとする「メンヘラ」が後を絶たない。



属性過多なんだよな。欲張りすぎると最悪死ぬってことを知ってか知らずか、そういう精神生活送っている人を見ると見るだけで疲労感が溜まる。でもその疲労感の正体というのが自分には到底耐えられそうにない矛盾を犯していることに対する嫉妬や憧憬だったりしてな。



某政治団体の「ルッキズム」が批判されているらしいけども、「ルッキズム」という言葉の中には「凄惨な美」も含まれるのだろうか。なんとも頼りない語彙だ。




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