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とりあえず日々考えたことを書いていこうと思う。
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人工知能が会計士の仕事を奪う、という話を聞いたとき、おいおい、と思ったけどね。会計士の役割は計算だけじゃないっつう。歩く法律家が弁護士としての役割を果たせるのか、というとそれも違うだろう。「公証」という機能・役割をまったく無視した議論だなあ、とは思ったけどね。



だいたい、正しい知識だとか、唯一の真実なんてものは誰にもわからないんだ、というのが前提としてあって、だからこそ専門家が必要とされ、信頼されているわけですよ。信頼とか信用とか、そういうものは果たして人工知能が担えるものなのか、というのは極めて社会学的なテーマですよ。



つい最近も、会計検査院の指摘で税金の「無駄遣い」がこれだけあった、と、ご丁寧にもニュースで報道されていたけども、じゃあ、その無駄遣い、って何?何が無駄で何が無駄でないのかを決める基準は?という問題になると途端に詰めが甘くなる。



自分の財布の中身を数えるようには、大きなお金の「計算」はできないのですよ。物の見方、考え方、というのは無数にあって、規模の大きな計算をする時にはそうした「カオス」な要素が多分に膨れ上がってくる。だから、唯一正しい正解、なんてものはない。



正しい計算をする機械が必要だから会計士がいるんじゃない。正しい、と言ってくれる人が必要だから士業が成り立つんですよ。法律家というのは歩く六法全書ではないわけで、人工知能厨はその点を過小評価しているきらいがあると思うんですね。



人工知能が人類の脅威になる、という発想にどうもなじめない。優れた人工知能が人間の能力を凌駕する、という考え方そのものに、なにか根本的な発想の貧困があるのではないかと思う。だから、どうも現在の人工知能論において社会学的分析がおおっぴらに論じられる機会が少ないように思うのは、何か物足りなさを個人的には感じているところです。ちゃんとした研究はないわけではないだろうに。
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