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とりあえず日々考えたことを書いていこうと思う。
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私のうちも中流下層より下くらいだと思うけども、持ち家に住んでるとあまりそういう実感湧かないね。都会の喧騒から離れてると余計に。ご飯にもお金使えるし。




親子二世代が同じ持ち家に住んでいて、うちの親は家から徒歩30秒の場所にある会社に通っていた。そういう環境は都会にはない。私ははじめて地元を離れた世代なのだけど、うちの人はよく、都会はあらゆる面で恵まれている場所だと言っていた。そういう実感は、今の私にはない。




私はよく、うちがお金持ちなのだと誤解されるのだけど、むしろビンボーですよ。そういう人たちと比べたらね。でも綺麗な持ち家に住んでいる。海とお城があるいい街に住んでいる。親は6時までには家に帰ってくる。それは平凡なことであり、素晴らしい環境だったのだろうね。




ビンボーな母子家庭に育って大学院まで行き国家公務員になる人は全体のどれほどの割合か知らないが、例外的であることは確かだろう。私が知る限り、同様の境遇で私以上の学歴に達した人はいない。だから私はビンボーな家に育ったけども極めて例外的な処遇にいることは認めざるを得ないが。




貧しさ、って、そんなに単純なものでもない。




ただし、母も私も勉強はできる方だった。親子二代に渡って学年一位をとっていたことについては母の友人間でも周知だった。かといって母に出世欲はそれほどなかったし、私にもあまりない。




私の祖父は戦前の都市ブルジョワジーの家庭に育ったから、その辺の文化遺伝子は引きずってるのよね、たぶん。ただ、戦争とともにもうどうでもよくなってしまったのだろう。すべてが零に回帰した、それだけなのだろう。




何かに向かって一生懸命にがんばる、ってタイプじゃないからな、私は。ゆるーく、ふわふわー、と生きていければそれでいいや、と。うちの人、全員に言えることだけれど、基本的に人を出し抜いて何かを成し遂げようという意思がない。それがうちらしいのかな、と思うくらいには冷めている。




オトコ独特の「野心」っていうの?そういうものが皆無な家庭だったので、未だにそういうパッションは苦手ですね。というか、オヤジという存在が苦手。大黒柱、そんなものはうちにはなかった。




ただし女性的なものに対して過剰に同化していたわけではなく、冒険的な要素を身にまとうことが自分の性的魅力を高めることも知っていた。だからそれなりにモテた。けれど私はどこまでも「パッション」というものがない、それだけは模倣できないものだと感じる。オヤジ的なものの欠如。





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