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とりあえず日々考えたことを書いていこうと思う。
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前にも言ったかもしれないが、役人というのは基本的に素人集団である。専門分野に特化した人というのはいない、ということになっているし、そういうシステムで回っている。




なぜ人は「専門知」を求めるのだろう、と考える時、それは他の誰でもない、あの人、この人の役に立ちたい、という思いがあるからだろう。要するに「オーダーメイド」である。オーダーメイドができる人のことを「専門家」というのではないだろうか。だとしたら役人ほどその定義から遠いものはないのだ。




行政マンに求められる「プロ意識」ってなんだろうな、ってたぶん永遠の問いじゃないだろうか。どこまで行っても妥協しかあり得ない、という意味において。もし「プロ」になりたいのなら役人になるべきではない、と口をすっぱくして言っておく。




「上から物申す素人」というのは気に食わないだろう。官僚組織に対する嫌悪感の正体はだいたいこんなところにある。役人生活というのは基本的に妥協の連続であるし、妥協と冗長と段取り臭さに耐えられる人だけがこの世界に向いていると言える。




役人の世界では「専門家」になればなるほど出世コースから外れていくわけです。そして出世を諦めるとどうなるかというと、みんな変人になっていくんですね。悪い意味でオタク化してしまう。




言い方を変えると、「専門は外注できる」んですよね。手前で専門家を養成しようという意志がないのは、元来お役所というのは専門知を外部に求めることで目の前のニーズを満たしてきたから、ということも言えるのだろうし、そこには専門性に対する「軽蔑」も入り混じっているのではないか。




専門知に対するある種の軽蔑は、同じ職務に長く就かせないという慣業と密接に関係しているのだろう。同じ部署にずっといて「専門化」していく職員を同僚は軽蔑する。それが専門知そのものに対するそれへと転化してくのだろう。




専門家はオーダーメイドに傾きやすい。知識がある故にオーダーメイドな期待に応えてしまいたくなるのが人間の心情というもの。しかしそれは公平・公正の理念と鋭く緊張を孕む。そこに危うさと卑俗さを重ね合わせる時、それが軽蔑へと繋がる。役人が専門知を期待された時に起こす生理的反応の起源。




もっといえば、知識の相対的な量と質がプロと素人を分かつのではない。専門性に向き合う態度がそれを分かつのだと言える。このことの重大な意味が、多くの人にあまり意識されていないと感じる。




あらゆるものが外注できる時代に、外注するという態度の根幹にある専門性に対する期待と無知を炙りだすのは、素人の役割なんじゃないかと、最近思うようになってきました。




私は現場ですごく脱構築的な試行錯誤をしてるんだと思う。たぶん。
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