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- 04/28 [PR]
- 03/22 無題
- 12/20 「公権力の中間層」としての「行政権」、とその行方。
- 02/14 「情報自由主義」と「情報保護貿易主義」
- 02/14 読書感想文
- 02/14 「目の前にいくらでも可能性が開けている」ということについての考察。
Title list of 雑記
久々にいろんなことをぶちまけてしまった気がする。
いや、「ぶちまけた」というよりも、「垂れ流した」というほうが正しい。
話をすることでできることは問題の解決なのではなく、問題の整理なのだと、わかってはいても、どうも今回は自戒したい。でも、あの時間は必要だったのだろうな、自分としては。
同性同士で素泊まりデートしてやることといえば相場は決まっている。そういう話をするためにわざわざこの機会を作ったのだ。
ずっと、考えていた。あれをどうするか。この問題にどう「決着」をつけるべきか。最初から友人の「アドバイス」を期待していたわけではない。自分の中で漠然と抱いている思いに確信を与えたかっただけなのだろう。
しかし、どうもあては外れたかもしれない。
話せばうまく整理できる、と思っていた。でもダメだった。何度も最初の問いに戻ってしまう。出てきた所に何度も戻ってしまう、方向音痴の迷路巡り。
つまり自分の「決断」次第なのだ、と何度も同じ結論に還る。それを認めたくないわけではない。でもそれを躊躇する自分がいる。躊躇の理由はわかっている。Aという選択を採る場合はXのことが気にかかり、Bという選択を採る場合にはそれを採った時に同時にAもXも失うということを意味する。要するにXの問題を自分の中でどうけりをつけるか、ということがここに絡んでくる。それができないでいるから、Aの道もBの道も選べないでいるのだろう。
ここまで分かっていながら「整理されていない」とはどういうことか、とこれを読んだ人(こんなものを読む物好きな人がいればの話だが)は思うかもしれない。
この問題を複雑にしている要素はまだある。それは、そもそも自分がAとBという二つの選択肢を選べる立場にあるのか、ということである。もし最初から選ぶことなどできないのだとすれば、この問題は様相を変貌させることになる。しかしいずれにせよはっきりしている唯一のことがあり、それは、自分にとってXという存在が非常に重要な位置を占めているということなのだ。
僕にとってXの痕跡は、今から振り返ると自分自身のかなり大きな部分を占めていることがわかる。意識の上層に上がってこない時でも、ふとした時に意識していることがある。何より今の自分自身のものの見方、考え方にかなり影響を与えている。自分の人生において、未だかつてこれほど大きな痕跡を残した存在はない。
でも、だからこそ、自分の中で「けり」をつけなければならないのだ、ということもよくわかっている。このまま行けば、僕はいつまでもXの影に悩まされることになるだろう。それはとても生きづらい人生を歩むことを意味する。だが、そもそもXを「忘却」することなどできるのか?それはおそらく無理だろう。時間は最高の妙薬だというが、これに関してはもう無理だと断言できる。僕にとってXの痕跡はあまりにも大きすぎ、深すぎる。
だが、だとしたらどうすればよいのか。このまま何もかも放置することはできないが、行動することで失われるものが何かが未だ不明瞭なのが僕の決断を遅らせている最大の理由なのかもしれない。何かを得ることで何かを失うのは当然の理だ。僕はそのこと自体は仕方ないことだと思っているし、仮に何かを失ったとしてもそれを受け入れるつもりではいる。しかし、得るものも失われるものも不明瞭な状況で「決断」をしなければならないとしたら、どうにでもなれ、という開き直りが少しは必要になるかもしれない。
そういう開き直りができるのはいつになるのか。
いづれにせよ、Xの痕跡とこれからずっと付き合っていかなければならないのだとすれば、僕に本当の意味で心の平安が訪れることはないかもしれない。それは仕方のないことだ、だから腹を括れ。
そうだ、腹を括るしかない。長い痛みに、耐えるために。
それができないのは、まだ「可能性」を信じているからなのかもしれない。本当に馬鹿だなあ、と思う。こんな馬鹿になってしまったのも、何かもあいつのせいである。
あの時、決着をつけたつもりだった。僕としては。
でも、はじめから無理だったのかもしれない。
決着をつけることなんて。
そうやって「けり」のつかないものをずるずると引きずっていくのが人生というものなのだろうか。たぶんそうなのだろう。大人というのはそういうものなのだろう。
けりがつかない、のではなく、けりをつけたくない、のかもしれない。
不可能性に振り回されながらも、それを自分で望んでもいるのだ。
たぶん無理だとわかっている。でもいつまでも開いた扉をそのままにしておきたい自分がいる。可能性は「希望」の言い換えだ。「絶望」したくないから、可能性をそのままにしておきたいのだ。
しかし、「選択」は、しなければならない。
決断しなければならないと思う。
たとえ得るものがなく、失うものしかないのだとしても、選択を放棄することはできないだろう。
その前に、どういう段取りで行動するのが一番後悔しないで済むか。ちゃんと考えておこうと思う。そのくらいの時間はまだ、少しはあると思う。
改めて考える。もし、Bという選択をとるとして、そこから先にXという可能性の成就にひたすら賭けるのか。それはもう、通常の意味で現世においてXを含む世界と断絶することを覚悟しなければならない。Aという選択は確かにXの可能性の完全なる放棄であるけれども、Bという選択を採るにしても、Xの可能性の成就以外には「断絶」しかありえないのだ。僕はXを含む世界が好きだ。要するに、「可能性の成就」以外で、「Xを含む世界」を認められるかどうか、にすべてがかかっているとも言えるかもしれない。
僕はそういう世界を望んでいるのか、それとも、あくまで「可能性の成就」にこだわるのか。
いや、「ぶちまけた」というよりも、「垂れ流した」というほうが正しい。
話をすることでできることは問題の解決なのではなく、問題の整理なのだと、わかってはいても、どうも今回は自戒したい。でも、あの時間は必要だったのだろうな、自分としては。
同性同士で素泊まりデートしてやることといえば相場は決まっている。そういう話をするためにわざわざこの機会を作ったのだ。
ずっと、考えていた。あれをどうするか。この問題にどう「決着」をつけるべきか。最初から友人の「アドバイス」を期待していたわけではない。自分の中で漠然と抱いている思いに確信を与えたかっただけなのだろう。
しかし、どうもあては外れたかもしれない。
話せばうまく整理できる、と思っていた。でもダメだった。何度も最初の問いに戻ってしまう。出てきた所に何度も戻ってしまう、方向音痴の迷路巡り。
つまり自分の「決断」次第なのだ、と何度も同じ結論に還る。それを認めたくないわけではない。でもそれを躊躇する自分がいる。躊躇の理由はわかっている。Aという選択を採る場合はXのことが気にかかり、Bという選択を採る場合にはそれを採った時に同時にAもXも失うということを意味する。要するにXの問題を自分の中でどうけりをつけるか、ということがここに絡んでくる。それができないでいるから、Aの道もBの道も選べないでいるのだろう。
ここまで分かっていながら「整理されていない」とはどういうことか、とこれを読んだ人(こんなものを読む物好きな人がいればの話だが)は思うかもしれない。
この問題を複雑にしている要素はまだある。それは、そもそも自分がAとBという二つの選択肢を選べる立場にあるのか、ということである。もし最初から選ぶことなどできないのだとすれば、この問題は様相を変貌させることになる。しかしいずれにせよはっきりしている唯一のことがあり、それは、自分にとってXという存在が非常に重要な位置を占めているということなのだ。
僕にとってXの痕跡は、今から振り返ると自分自身のかなり大きな部分を占めていることがわかる。意識の上層に上がってこない時でも、ふとした時に意識していることがある。何より今の自分自身のものの見方、考え方にかなり影響を与えている。自分の人生において、未だかつてこれほど大きな痕跡を残した存在はない。
でも、だからこそ、自分の中で「けり」をつけなければならないのだ、ということもよくわかっている。このまま行けば、僕はいつまでもXの影に悩まされることになるだろう。それはとても生きづらい人生を歩むことを意味する。だが、そもそもXを「忘却」することなどできるのか?それはおそらく無理だろう。時間は最高の妙薬だというが、これに関してはもう無理だと断言できる。僕にとってXの痕跡はあまりにも大きすぎ、深すぎる。
だが、だとしたらどうすればよいのか。このまま何もかも放置することはできないが、行動することで失われるものが何かが未だ不明瞭なのが僕の決断を遅らせている最大の理由なのかもしれない。何かを得ることで何かを失うのは当然の理だ。僕はそのこと自体は仕方ないことだと思っているし、仮に何かを失ったとしてもそれを受け入れるつもりではいる。しかし、得るものも失われるものも不明瞭な状況で「決断」をしなければならないとしたら、どうにでもなれ、という開き直りが少しは必要になるかもしれない。
そういう開き直りができるのはいつになるのか。
いづれにせよ、Xの痕跡とこれからずっと付き合っていかなければならないのだとすれば、僕に本当の意味で心の平安が訪れることはないかもしれない。それは仕方のないことだ、だから腹を括れ。
そうだ、腹を括るしかない。長い痛みに、耐えるために。
それができないのは、まだ「可能性」を信じているからなのかもしれない。本当に馬鹿だなあ、と思う。こんな馬鹿になってしまったのも、何かもあいつのせいである。
あの時、決着をつけたつもりだった。僕としては。
でも、はじめから無理だったのかもしれない。
決着をつけることなんて。
そうやって「けり」のつかないものをずるずると引きずっていくのが人生というものなのだろうか。たぶんそうなのだろう。大人というのはそういうものなのだろう。
けりがつかない、のではなく、けりをつけたくない、のかもしれない。
不可能性に振り回されながらも、それを自分で望んでもいるのだ。
たぶん無理だとわかっている。でもいつまでも開いた扉をそのままにしておきたい自分がいる。可能性は「希望」の言い換えだ。「絶望」したくないから、可能性をそのままにしておきたいのだ。
しかし、「選択」は、しなければならない。
決断しなければならないと思う。
たとえ得るものがなく、失うものしかないのだとしても、選択を放棄することはできないだろう。
その前に、どういう段取りで行動するのが一番後悔しないで済むか。ちゃんと考えておこうと思う。そのくらいの時間はまだ、少しはあると思う。
改めて考える。もし、Bという選択をとるとして、そこから先にXという可能性の成就にひたすら賭けるのか。それはもう、通常の意味で現世においてXを含む世界と断絶することを覚悟しなければならない。Aという選択は確かにXの可能性の完全なる放棄であるけれども、Bという選択を採るにしても、Xの可能性の成就以外には「断絶」しかありえないのだ。僕はXを含む世界が好きだ。要するに、「可能性の成就」以外で、「Xを含む世界」を認められるかどうか、にすべてがかかっているとも言えるかもしれない。
僕はそういう世界を望んでいるのか、それとも、あくまで「可能性の成就」にこだわるのか。
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最近考えていたことをつらつら。「公権力」って、論理的に突き詰めていけば「軍事・警察力」と「司法権」に二極化するだろうな、ということ。「行政権」なんてものはその二極の間に位置づけられる曖昧模糊としたグレーゾーンに過ぎないんじゃないか、ということを漠然と考えていた。
公権力、というものを実体的にとらえるにせよ、関係的にとらえるにせよ、それは究極的に二つに分かれると思うんです。「物理的権力」と「観念的権力」。この二つは相補的であって、どちらも一方に依存している。物理的権力が軍事・警察権であって、観念的権力が司法権である、という具合。
「行政指導」という概念を考察すれば明らかなように、行政権は警察権・軍事権的な性質と、司法権的な性質を両方含有している。このことは、「行政権」という「固有の」権力がそもそも存在するのか、という問題を暗示しているようにも思う。
論理的には、公権力というものは二つしか存在し得ず、「行政権」というのは物理的権力と観念的権力の間に存在する「中間層」なのだろうな、と考えることもできるのではないか。行政権は主に富の再分配装置としての機能を担うが、物理的権力と観念的権力の二極だけではこれを実現できない。
軍事・警察的権力と司法的権力の妥協の中から行政権というものが生じてくる。その「妥協」がなぜ行われるのか、といえば、簡単に言うと、テクノロジーの不備によるのだろう、ということ。この妥協は、富の分配という「平等」の原理と「自由」の追求という近代社会の二大原理を両立させるための妥協だ。
司法権も警察・軍事権もそれ自体が「社会の理念」を担うわけではない。理念とは、論理的に帰結される必然的な「解」ではなく、「こうあるべき」という倫理観を含むもので、それは近代民主主義においては、議論と立法を経て形式的に担保されているものだ。それが「形式的担保」であるという点が重要。
大衆社会において「理念」というのは常に形式的に担保されるしかないと思うんです。その「形式」に対する信頼こそが「行政権」の拠り所だと私は思っている。ところで形式というのは、確固普遍のものではなく、テクノロジーの発展次第でそれに対する信頼の在り方も変わっていくわけです。
昔は公務員がやっていた仕事も、技術進歩とそれに密接に関係した人々の感性の在り方の変化によって、公務員じゃなくてもいいんじゃね?ってなるわけです。果たして、これを「新自由主義」という経済学者の一学派の価値観として矮小化して捉えるだけでよいのだろうか、ということです。
ピケティの著作には確かに新自由主義批判という要素もあるにはあるでしょうが、彼自身、意識的か無意識的かによらず、もっとスケールの大きな問題に触れてしまっているように思うのですよね。フランス革命的な原理の究極的な論理的帰結はフランス革命的な原理の否定であるという点だけではなくね。
話を元に戻すと、今現在起こっていることは、「行政権」という「公権力の中間層」の分解なのだろうな、ということ。これは「新自由主義」の流れとも重なるし、その大きな流れの中で「新自由主義」も位置づけられるのだろう、ということ。
「新自由主義」という原理が手ごわいのは、学派として有力であるというよりも、それがより大きな人類史の(思想的・社会的な)潮流の中で位置づけられるようなものだからこそ、それだけを取り出して批判する、ということが難しいからだとも思う。図らずもピケティはそれを指摘してしまうのではないか。
「公正」を担保するのなら司法権でよい。「強制」を担保するのなら軍事・警察権があればよい。「こうあるべき」という理念を実現させるにはその両方が必要であるがゆえに、公権力の中間層が必要とされる。民主主義社会の理念が形式に対する信頼にあるのなら、その形式に対する感受性の在処が問題。
いわゆるリベラルの保守批判も、社会民主主義者からの新自由主義批判もなんとなく弱くなってしまうのは、このもっと深い部分にある潮流を言語化することがまだ不十分だから、というのが大きいだろうな。だから今更ピケティを持ち出して「やっぱり再分配だ!」と言っても上滑りする。
今の左派(あえてサヨクとは言わない)が構図的には「保守」に近接してしまうのも、そういう深層部分での変化に適応できていないから、だよな。だからピケティを持ち出す連中には胡散臭さを感じるけど、ピケティ自身は割と面白い点を突いてるんじゃないか、というのが私の直観。
公権力、というものを実体的にとらえるにせよ、関係的にとらえるにせよ、それは究極的に二つに分かれると思うんです。「物理的権力」と「観念的権力」。この二つは相補的であって、どちらも一方に依存している。物理的権力が軍事・警察権であって、観念的権力が司法権である、という具合。
「行政指導」という概念を考察すれば明らかなように、行政権は警察権・軍事権的な性質と、司法権的な性質を両方含有している。このことは、「行政権」という「固有の」権力がそもそも存在するのか、という問題を暗示しているようにも思う。
論理的には、公権力というものは二つしか存在し得ず、「行政権」というのは物理的権力と観念的権力の間に存在する「中間層」なのだろうな、と考えることもできるのではないか。行政権は主に富の再分配装置としての機能を担うが、物理的権力と観念的権力の二極だけではこれを実現できない。
軍事・警察的権力と司法的権力の妥協の中から行政権というものが生じてくる。その「妥協」がなぜ行われるのか、といえば、簡単に言うと、テクノロジーの不備によるのだろう、ということ。この妥協は、富の分配という「平等」の原理と「自由」の追求という近代社会の二大原理を両立させるための妥協だ。
司法権も警察・軍事権もそれ自体が「社会の理念」を担うわけではない。理念とは、論理的に帰結される必然的な「解」ではなく、「こうあるべき」という倫理観を含むもので、それは近代民主主義においては、議論と立法を経て形式的に担保されているものだ。それが「形式的担保」であるという点が重要。
大衆社会において「理念」というのは常に形式的に担保されるしかないと思うんです。その「形式」に対する信頼こそが「行政権」の拠り所だと私は思っている。ところで形式というのは、確固普遍のものではなく、テクノロジーの発展次第でそれに対する信頼の在り方も変わっていくわけです。
昔は公務員がやっていた仕事も、技術進歩とそれに密接に関係した人々の感性の在り方の変化によって、公務員じゃなくてもいいんじゃね?ってなるわけです。果たして、これを「新自由主義」という経済学者の一学派の価値観として矮小化して捉えるだけでよいのだろうか、ということです。
ピケティの著作には確かに新自由主義批判という要素もあるにはあるでしょうが、彼自身、意識的か無意識的かによらず、もっとスケールの大きな問題に触れてしまっているように思うのですよね。フランス革命的な原理の究極的な論理的帰結はフランス革命的な原理の否定であるという点だけではなくね。
話を元に戻すと、今現在起こっていることは、「行政権」という「公権力の中間層」の分解なのだろうな、ということ。これは「新自由主義」の流れとも重なるし、その大きな流れの中で「新自由主義」も位置づけられるのだろう、ということ。
「新自由主義」という原理が手ごわいのは、学派として有力であるというよりも、それがより大きな人類史の(思想的・社会的な)潮流の中で位置づけられるようなものだからこそ、それだけを取り出して批判する、ということが難しいからだとも思う。図らずもピケティはそれを指摘してしまうのではないか。
「公正」を担保するのなら司法権でよい。「強制」を担保するのなら軍事・警察権があればよい。「こうあるべき」という理念を実現させるにはその両方が必要であるがゆえに、公権力の中間層が必要とされる。民主主義社会の理念が形式に対する信頼にあるのなら、その形式に対する感受性の在処が問題。
いわゆるリベラルの保守批判も、社会民主主義者からの新自由主義批判もなんとなく弱くなってしまうのは、このもっと深い部分にある潮流を言語化することがまだ不十分だから、というのが大きいだろうな。だから今更ピケティを持ち出して「やっぱり再分配だ!」と言っても上滑りする。
今の左派(あえてサヨクとは言わない)が構図的には「保守」に近接してしまうのも、そういう深層部分での変化に適応できていないから、だよな。だからピケティを持ち出す連中には胡散臭さを感じるけど、ピケティ自身は割と面白い点を突いてるんじゃないか、というのが私の直観。
ネットをやっていると、「自分よりすごいやつ」にすぐ遭遇する。リアルの生活では「そこそこやれてる」と思う自分自身の漠然とした「自信」が打ち砕かれる経験をした人も多いのではないだろうか。
そういうことを思うとき、「自分に入ってくる情報を制限する」というアナログな処世術の意外な効力を発見するのです。つまり、意識的に「井の中の蛙」になる、ということ。
知ろうと思えばクリック一つで知ることができる世の中、というのは恐ろしいもので、人類史上、これほど多くの人が簡単に「自分の世界的な立ち位置」を把握できてしまうような時代は、かつてなかった。昔は「村の中のオラ」というものさしでよかったのが、今では「世界の中の私」というものさしになった。
でも、それは「ネット」という世界に常時身を浸していたら、という話。ネットサーフィンをたいしてやらない人にとっては、今でもある程度は、「狭い世界」の中だけで生きていけるような気もする。すると、自分の生活にとって、本当に必要な情報を仕入れる時以外は、ネットをいじらない、という倹約的な生き方も、現代的な意義を持ち得るんじゃかろうか、と思ったりする。
市場における商品、と同じように、あるいはそれのアナロジーとして、人間の「アイデンティティ」もまた、「情報交換」という人間同士の記号的相互作用の中で成り立っている。「あの人と比べて私は……」といったふうに、多かれ少なかれアイデンティティというものは記号的存在としての「他者」との関係の中で構築されるものだ。もっと言うと、アイデンティティの問題というのは「他者とは誰か」という問題である。
その他者を誰に措定するかによって、アイデンティティも変化する。どこでも同じように振舞う人がいないのは、人間の人格というものがそれだけコンテクスト依存的であるということでもあり、逆に言えば、人間の可塑性をも、示している。だからこそ多くの賢人は「付き合う人を選べ」と言うし、「場所が変われば人も変わる」というのだ。
「希望格差社会」という言葉が一時期流行った。後期資本主義社会においては、社会階層が固定化され、生まれによって、社会的上昇の可能性が決まってしまう。そこでは「希望」という抽象的な理念すら、すべての人に均質に保証されるものではなく、その人の社会階層いかんによって、持てる希望の大きさも重さも変わってしまう、というほどの意味だろう。
考えてみると、これも、「知ろうと思えば知ることができる」が故の悲劇ではなかろうか。「私より希望を持てる人がいる」ということを「知る」ことができてしまうが故に、その「他者」との相対的な不遇感に苦しむのである。
もちろん、これは一面的な見方に過ぎない。そのような「格差」が現に存在し、それが「社会階層」の固定化と結びついた現象である、ということもまた、真実であるように思う。しかし、そうした「希望の格差」は、そのような言説が「知られる」ことで、初めて意味を持つことも確かである。
今、世界中で起こっている政治的動乱の多くは、こうした「知識の自由化」という人類史上空前の知識社会学的変化と対応関係にあるように思う。これまで「発展途上国」とされてきた人々が「先進国」の利害について多くを知るようになり、自分たちの「相対的な不遇感」を徐々に認識するようになっていった結果、大衆的な動員が可能になったのだ。そしてこのことは、現代日本における「希望格差社会」の問題とも通底している。
今、世界中の多くの「恵まれない地域の人々」は「知ることの自由」を欲して戦っている。しかし我々日本人はむしろ、その「知ることの自由」の故に、苦しんでいるようなところがあるのではなかろうか。もっと言うと、今や私は、「知らないことの自由」の効用を認識しつつあるのである。
「知ることの自由」を極限まで拡大していく潮流を「情報自由主義」と仮に名付けるとすると、「知らないことの自由」を求める立場は「情報保護貿易主義」ということになるだろうか。言うまでもなく、経済政策とのアナロジーとして、記号の市場的性格を把握したものである。
ジョージ・オーウェルの「1984」には「二重思考」という概念が出てくるが、今まさに「情報自由主義」の中で溺れ死しようとしている人にとって救いとなる処世術は、「知っているけれども知らない」という認識のあり方、すなわち、情報社会における「二重思考」なのではないだろうか。私は私に都合の悪いことを知っていながら、知らない、という認識の仕方こそ、激しいアイデンティティ=記号の市場競争の中で自らの実存を保護する方法論ではないか。
記号的な意味における「競争」を降りる、というある意味「後ろ向き」な処世術がこれから見直されるに違いない、と私は思う。この問題は、例えば「生涯学習社会」や「オタク的生き方」を考える際にも関係してくるのだろうが、これはまたちがう機会に考察してみよう。
そういうことを思うとき、「自分に入ってくる情報を制限する」というアナログな処世術の意外な効力を発見するのです。つまり、意識的に「井の中の蛙」になる、ということ。
知ろうと思えばクリック一つで知ることができる世の中、というのは恐ろしいもので、人類史上、これほど多くの人が簡単に「自分の世界的な立ち位置」を把握できてしまうような時代は、かつてなかった。昔は「村の中のオラ」というものさしでよかったのが、今では「世界の中の私」というものさしになった。
でも、それは「ネット」という世界に常時身を浸していたら、という話。ネットサーフィンをたいしてやらない人にとっては、今でもある程度は、「狭い世界」の中だけで生きていけるような気もする。すると、自分の生活にとって、本当に必要な情報を仕入れる時以外は、ネットをいじらない、という倹約的な生き方も、現代的な意義を持ち得るんじゃかろうか、と思ったりする。
市場における商品、と同じように、あるいはそれのアナロジーとして、人間の「アイデンティティ」もまた、「情報交換」という人間同士の記号的相互作用の中で成り立っている。「あの人と比べて私は……」といったふうに、多かれ少なかれアイデンティティというものは記号的存在としての「他者」との関係の中で構築されるものだ。もっと言うと、アイデンティティの問題というのは「他者とは誰か」という問題である。
その他者を誰に措定するかによって、アイデンティティも変化する。どこでも同じように振舞う人がいないのは、人間の人格というものがそれだけコンテクスト依存的であるということでもあり、逆に言えば、人間の可塑性をも、示している。だからこそ多くの賢人は「付き合う人を選べ」と言うし、「場所が変われば人も変わる」というのだ。
「希望格差社会」という言葉が一時期流行った。後期資本主義社会においては、社会階層が固定化され、生まれによって、社会的上昇の可能性が決まってしまう。そこでは「希望」という抽象的な理念すら、すべての人に均質に保証されるものではなく、その人の社会階層いかんによって、持てる希望の大きさも重さも変わってしまう、というほどの意味だろう。
考えてみると、これも、「知ろうと思えば知ることができる」が故の悲劇ではなかろうか。「私より希望を持てる人がいる」ということを「知る」ことができてしまうが故に、その「他者」との相対的な不遇感に苦しむのである。
もちろん、これは一面的な見方に過ぎない。そのような「格差」が現に存在し、それが「社会階層」の固定化と結びついた現象である、ということもまた、真実であるように思う。しかし、そうした「希望の格差」は、そのような言説が「知られる」ことで、初めて意味を持つことも確かである。
今、世界中で起こっている政治的動乱の多くは、こうした「知識の自由化」という人類史上空前の知識社会学的変化と対応関係にあるように思う。これまで「発展途上国」とされてきた人々が「先進国」の利害について多くを知るようになり、自分たちの「相対的な不遇感」を徐々に認識するようになっていった結果、大衆的な動員が可能になったのだ。そしてこのことは、現代日本における「希望格差社会」の問題とも通底している。
今、世界中の多くの「恵まれない地域の人々」は「知ることの自由」を欲して戦っている。しかし我々日本人はむしろ、その「知ることの自由」の故に、苦しんでいるようなところがあるのではなかろうか。もっと言うと、今や私は、「知らないことの自由」の効用を認識しつつあるのである。
「知ることの自由」を極限まで拡大していく潮流を「情報自由主義」と仮に名付けるとすると、「知らないことの自由」を求める立場は「情報保護貿易主義」ということになるだろうか。言うまでもなく、経済政策とのアナロジーとして、記号の市場的性格を把握したものである。
ジョージ・オーウェルの「1984」には「二重思考」という概念が出てくるが、今まさに「情報自由主義」の中で溺れ死しようとしている人にとって救いとなる処世術は、「知っているけれども知らない」という認識のあり方、すなわち、情報社会における「二重思考」なのではないだろうか。私は私に都合の悪いことを知っていながら、知らない、という認識の仕方こそ、激しいアイデンティティ=記号の市場競争の中で自らの実存を保護する方法論ではないか。
記号的な意味における「競争」を降りる、というある意味「後ろ向き」な処世術がこれから見直されるに違いない、と私は思う。この問題は、例えば「生涯学習社会」や「オタク的生き方」を考える際にも関係してくるのだろうが、これはまたちがう機会に考察してみよう。
「感想」なんて二行くらいに収まるよね。普通に書けば。わざわざ原稿用紙に長々と書かせるのは、心の中のことを言葉にすることを要求しているのではなく、「感想文」という「文体」を要求しているということなんだよ。
「国語」でやるような、文章を書く訓練、というのは、思いを言葉にする訓練というよりも、言葉で思いを作り出す造形の訓練、みたいなところがある。「思い」が先にあるかどうかなんてことは実はどうでもいい。それっぽいこと、が書けるかどうかなのだ。
文章が書けるようになると、思い、もついてくるだろう。「身に付いた形」は「身」と見分けがつかなくなる。文章という「形」を造ることを通じて、「感想」が生まれてくるのではないだろうか。
そういう意味では、「文章を書かせる訓練」という、一見すると価値中立的な教育にも、道徳的色彩が付きまとう。「文章が書けない人」は思い抱いたものを言葉にする力がついていない、ということで訓練の対象にされる。しかし、結局、ありきたりの言葉でありきたりの「感想」を綴る訓練をさせられているに過ぎない。
読書感想文、なんて、どうあがいても面白いものになるはずがないし、すべての人が何らかの思いを持つと想定している時点で、「形式による道徳」なんだよ。書く、という行為によって、「感想」なるものを造り出させる道徳的教育。
やっぱ予備校の先生、って、研究者くずれが多いのか。「うちくる」での林修氏の話。
「この業界には挫折を経験している人が多い」というのは、「挫折を経験できた人が多い」ということなんだろうな。挫折を「挫折」として認識し、それを糧にして生きていくという意思があるからこそ、その場所にいることができるんでしょう。客観的な意味での挫折、なんてものはない。
挫折経験、みたいなものって、いろいろ種類があるけれど、そもそも「挫折」を「経験できない」人もたくさんいる。世渡りがうまい、とか、そういうことじゃなく。その人が「挫折」だと思わなければ、その人の人生における経験としての挫折は存在しないわけで。
目の前のことに夢中になる、という経験をしたことのない人にとっては挫折経験はないだろう。挫折、というのは「勢い」があってこその「挫折」なわけで、そもそも「のめり込む」という前段階を必要とする。ESとかで挫折経験の有無を問うのは、そういう理由からだろう。
けれど、もう一つ別の角度からの考察を加えると、「披瀝できる挫折」と「披瀝できない挫折」があると思う。社会的に価値づけられているのは前者で、後者はだいたい無意識のレベルに追いやられてしまう。これがいわゆる「黒歴史」なんだろう。
そういう黒歴史だって、昇華さえできれば成長の糧にはなる。けれど、黒歴史はそもそも他者に披瀝できる社会性を持たないから、社会的過程としての昇華は起こりにくい。そういう黒歴史的な体験の方が重みを持っている人にとっては、表向きの挫折経験なんて、実に潔癖で薄っぺらいものに見えることだろう。
「黒歴史」とは、個人が社会化されていく過程で、昇華される術を与えられないまま無意識の底に沈殿した、いわば、「社会的存在としての人間の残りカス」みたいなもんだと思う。ネット上でそれが可視化され、言葉を与えられるのは、ネットが無意識を漉しとる作用を持つからだろう。
表向きに(つまり社会的に)語り得る挫折経験の有無を問う、というのは、それ自体、「社会的に語り得る挫折」を要求するイニシエーションなわけで。先ほどの読書感想文の話に引きつけて言えば、これも「形式による道徳」なんだろう。
ここでも私はいつもと同じように、「ホンネとは、身に付いたタテマエであり、タテマエとは、付け焼刃的なホンネである」と言いたい。
「国語」でやるような、文章を書く訓練、というのは、思いを言葉にする訓練というよりも、言葉で思いを作り出す造形の訓練、みたいなところがある。「思い」が先にあるかどうかなんてことは実はどうでもいい。それっぽいこと、が書けるかどうかなのだ。
文章が書けるようになると、思い、もついてくるだろう。「身に付いた形」は「身」と見分けがつかなくなる。文章という「形」を造ることを通じて、「感想」が生まれてくるのではないだろうか。
そういう意味では、「文章を書かせる訓練」という、一見すると価値中立的な教育にも、道徳的色彩が付きまとう。「文章が書けない人」は思い抱いたものを言葉にする力がついていない、ということで訓練の対象にされる。しかし、結局、ありきたりの言葉でありきたりの「感想」を綴る訓練をさせられているに過ぎない。
読書感想文、なんて、どうあがいても面白いものになるはずがないし、すべての人が何らかの思いを持つと想定している時点で、「形式による道徳」なんだよ。書く、という行為によって、「感想」なるものを造り出させる道徳的教育。
やっぱ予備校の先生、って、研究者くずれが多いのか。「うちくる」での林修氏の話。
「この業界には挫折を経験している人が多い」というのは、「挫折を経験できた人が多い」ということなんだろうな。挫折を「挫折」として認識し、それを糧にして生きていくという意思があるからこそ、その場所にいることができるんでしょう。客観的な意味での挫折、なんてものはない。
挫折経験、みたいなものって、いろいろ種類があるけれど、そもそも「挫折」を「経験できない」人もたくさんいる。世渡りがうまい、とか、そういうことじゃなく。その人が「挫折」だと思わなければ、その人の人生における経験としての挫折は存在しないわけで。
目の前のことに夢中になる、という経験をしたことのない人にとっては挫折経験はないだろう。挫折、というのは「勢い」があってこその「挫折」なわけで、そもそも「のめり込む」という前段階を必要とする。ESとかで挫折経験の有無を問うのは、そういう理由からだろう。
けれど、もう一つ別の角度からの考察を加えると、「披瀝できる挫折」と「披瀝できない挫折」があると思う。社会的に価値づけられているのは前者で、後者はだいたい無意識のレベルに追いやられてしまう。これがいわゆる「黒歴史」なんだろう。
そういう黒歴史だって、昇華さえできれば成長の糧にはなる。けれど、黒歴史はそもそも他者に披瀝できる社会性を持たないから、社会的過程としての昇華は起こりにくい。そういう黒歴史的な体験の方が重みを持っている人にとっては、表向きの挫折経験なんて、実に潔癖で薄っぺらいものに見えることだろう。
「黒歴史」とは、個人が社会化されていく過程で、昇華される術を与えられないまま無意識の底に沈殿した、いわば、「社会的存在としての人間の残りカス」みたいなもんだと思う。ネット上でそれが可視化され、言葉を与えられるのは、ネットが無意識を漉しとる作用を持つからだろう。
表向きに(つまり社会的に)語り得る挫折経験の有無を問う、というのは、それ自体、「社会的に語り得る挫折」を要求するイニシエーションなわけで。先ほどの読書感想文の話に引きつけて言えば、これも「形式による道徳」なんだろう。
ここでも私はいつもと同じように、「ホンネとは、身に付いたタテマエであり、タテマエとは、付け焼刃的なホンネである」と言いたい。
コネがあるといい仕事がふってくる、ってのはマジだと思う。
でも選択肢なんてのは無数にあって、自分があらゆる可能性から選択できるなんて考えるのは幻想でしかない。ありついたものには縁があり、そうでないものには縁がなかった、と考えるには救いがある。
自分が可能な限り広い選択肢から選択できると考えることは救いになるだろうか?
むしろ目の前に開けている可能性の一部が自分の縁なのだと考える方が、選択という行為の神聖さを保てると思う。
選ぼうと思えば選べてしまう状況というのは、選ばなければ怠惰、ということになってしまう。可能性が広がるのはいいが、広げたままにしておくことはできないし、その中の大半の可能性は消え失せる。
消えた可能性は自らが存在し得たことをこれみよがしに見せつけるだけに、出現しなかった可能性よりもたちが悪い。選ぼうと思えば選べたと思わせることで人を惑わせる。
「密室の中の苦行」というのは案外耐えられるんじゃないかと思う。生きるか死ぬかしか選択肢がないなら、生きようとするしかない。しかし、窓が開かれ、世界が広がり、「よりよく生きる」という新たな可能性が生まれたとしたら?
知ることで安らぎは得られない。知ることは光を見させるが、よりよく知ることは自分の不遇感を育てるだけだ。知らないほうがいいことはいくらでもある。
しかし、「知らない方がいいことがある」ことを知ってしまえば、もう「知らないでいる」ことには耐えられないのだ。
自由になる、というのは、そういう不遇感と隣り合わせの感覚じゃないか。知ることで人は自由になるかもしれないが、そのために「不遇感」という対価をきっちり支払っているのだ。不遇感とは、皆が公平に扱われるべき、という感覚の裏側である。
自由になればなるほど、相対的な不遇感は増す。もし不遇感に悩まされたくないなら、自ら自由を切り捨てればいい。自由を捨てたって、生きることをやめるわけじゃない。
「選択肢を選ぶ時」ではなく、「選ぶことを拒絶した時」に、「生きる」という原理が生まれるんじゃないだろうか。
でも選択肢なんてのは無数にあって、自分があらゆる可能性から選択できるなんて考えるのは幻想でしかない。ありついたものには縁があり、そうでないものには縁がなかった、と考えるには救いがある。
自分が可能な限り広い選択肢から選択できると考えることは救いになるだろうか?
むしろ目の前に開けている可能性の一部が自分の縁なのだと考える方が、選択という行為の神聖さを保てると思う。
選ぼうと思えば選べてしまう状況というのは、選ばなければ怠惰、ということになってしまう。可能性が広がるのはいいが、広げたままにしておくことはできないし、その中の大半の可能性は消え失せる。
消えた可能性は自らが存在し得たことをこれみよがしに見せつけるだけに、出現しなかった可能性よりもたちが悪い。選ぼうと思えば選べたと思わせることで人を惑わせる。
「密室の中の苦行」というのは案外耐えられるんじゃないかと思う。生きるか死ぬかしか選択肢がないなら、生きようとするしかない。しかし、窓が開かれ、世界が広がり、「よりよく生きる」という新たな可能性が生まれたとしたら?
知ることで安らぎは得られない。知ることは光を見させるが、よりよく知ることは自分の不遇感を育てるだけだ。知らないほうがいいことはいくらでもある。
しかし、「知らない方がいいことがある」ことを知ってしまえば、もう「知らないでいる」ことには耐えられないのだ。
自由になる、というのは、そういう不遇感と隣り合わせの感覚じゃないか。知ることで人は自由になるかもしれないが、そのために「不遇感」という対価をきっちり支払っているのだ。不遇感とは、皆が公平に扱われるべき、という感覚の裏側である。
自由になればなるほど、相対的な不遇感は増す。もし不遇感に悩まされたくないなら、自ら自由を切り捨てればいい。自由を捨てたって、生きることをやめるわけじゃない。
「選択肢を選ぶ時」ではなく、「選ぶことを拒絶した時」に、「生きる」という原理が生まれるんじゃないだろうか。