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- 04/28 [PR]
- 08/22 童貞哲学
- 08/14 そのうちに、その先に、
- 06/19 常識的な彼女と老いとメランコリア
- 03/11 「正義」はぼんやりとしている。
- 11/29 伝統芸能と健康
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子供にはみんな生物学的な親がいるけど子供には子をつくる蓋然性がない、だから当たり前に存在する親という概念と自分自身が親になることの可能性の格差に畏れをなす、ということは、結局は宇宙の起源の問題に収斂される。
ワレオモウ、ユエニ、ワレアリ、が哲学の起源たり得るのは、親という存在と私という存在の間にある可能性の格差に畏れ戦くからじゃないのか。
エゴイストは常に具体物を志向する。ロマンチストは常に抽象物を志向する。故にロマンチストのほうが罪深い。なぜなら抽象的なものは一般的なものでしかあり得ず、一般的なものは相対的にしか存在し得ないからだ。一般的な幸福は相対的な不幸を必要とせざるを得ない。
権利の上に眠る者は保護に値しない、という理念の究極の根拠は、権利というものが目に見えず、定かでないからではないかと思うことがある。しかし見える権利なんて不安で仕方がないだろう。見えてしまえば、もうそれ以上はないのだから。
法的思考の結論のみが見える知識として流布しても、それで人類が幸福になるとは思えない。けれど民主主義のテクノロジーはそれを追求し続けるだろう。解釈という営みが絶えず脱聖化されていくプロセスが快楽になる仕組みこそ、我々が得るものだろう。
デカルトが言い出したことを私なりに解釈すると、私の親は結婚して子供を産んだのに、なんで私はいつまでも童貞なのか、ってことだと思えてくる。
そういうことを表現するために、ワレオモウ、なんて無意味なことを言わなければならなかった。私には親がいて当然でも、私に子供がないのはなんら不思議なことではない、という事実を解釈するために機械の話をしなければならなかった。本来は時間と可能性の話をすべきだった。
そういう男のエピソードが近代哲学の起源になったのは人類の不幸だったかもしれないけれども、哲学の起源に非リアの悲愴さが現れることで非リアという存在形式を幾分か、形而上学的な次元に引き上げることにはなったと思う。
見方を変えるならば、少子高齢化時代における人類の「個」と「種」の有り様はデカルトの悲愴さに色付けられていると言える。
起源に関する議論はいつもうやむやにされる、また、されなければならない。だから私はこの悲愴さを肯定できる。人権の話をするならば、まずデカルトの恥部に畏敬の念を捧げることから始めよう。
ワレオモウ、ユエニ、ワレアリ、が哲学の起源たり得るのは、親という存在と私という存在の間にある可能性の格差に畏れ戦くからじゃないのか。
エゴイストは常に具体物を志向する。ロマンチストは常に抽象物を志向する。故にロマンチストのほうが罪深い。なぜなら抽象的なものは一般的なものでしかあり得ず、一般的なものは相対的にしか存在し得ないからだ。一般的な幸福は相対的な不幸を必要とせざるを得ない。
権利の上に眠る者は保護に値しない、という理念の究極の根拠は、権利というものが目に見えず、定かでないからではないかと思うことがある。しかし見える権利なんて不安で仕方がないだろう。見えてしまえば、もうそれ以上はないのだから。
法的思考の結論のみが見える知識として流布しても、それで人類が幸福になるとは思えない。けれど民主主義のテクノロジーはそれを追求し続けるだろう。解釈という営みが絶えず脱聖化されていくプロセスが快楽になる仕組みこそ、我々が得るものだろう。
デカルトが言い出したことを私なりに解釈すると、私の親は結婚して子供を産んだのに、なんで私はいつまでも童貞なのか、ってことだと思えてくる。
そういうことを表現するために、ワレオモウ、なんて無意味なことを言わなければならなかった。私には親がいて当然でも、私に子供がないのはなんら不思議なことではない、という事実を解釈するために機械の話をしなければならなかった。本来は時間と可能性の話をすべきだった。
そういう男のエピソードが近代哲学の起源になったのは人類の不幸だったかもしれないけれども、哲学の起源に非リアの悲愴さが現れることで非リアという存在形式を幾分か、形而上学的な次元に引き上げることにはなったと思う。
見方を変えるならば、少子高齢化時代における人類の「個」と「種」の有り様はデカルトの悲愴さに色付けられていると言える。
起源に関する議論はいつもうやむやにされる、また、されなければならない。だから私はこの悲愴さを肯定できる。人権の話をするならば、まずデカルトの恥部に畏敬の念を捧げることから始めよう。
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指輪を買いました。ヴィーナスフォートにて。
告白は、観覧車の中。
シチュエーション的にはベタの王道を行く、という感じ。
ここまでの顛末を完結に述べると、
2月:某婚活サイトでメッセージを交換。デートする。
3月:正式に付き合う。@ジョイポリス。
5月:日光にお泊りデート。
7月:それぞれのおうちに挨拶
8月:イマココ
まあ、こんな感じ。なんやかんやで出会って半年なんですね。
実際に付き合い始めるまでは、まさか婚活サイトで知り合った相手とそういう関係になるとは思ってもいませんでした。まあ、合コンだとか、婚活だとか、今年に入るまで、もっというと、前年末に以前の相方と別れるまでまったく眼中にありませんでしたからね。人と人との出会いは作為的であるべきでない、とりわけ異性関係は神聖なものなのだ、という信念も人並みになかったといえば嘘になるでしょう。心からそう思っていたのかと言えばたぶん怪しいですけど。
元来ロマンチストである自分が婚活という「作為」を受け入れたのは、その時の気分がそうさせたのだというのがたぶん正しい。相方と別れて、肩の荷が下りたというか、なんとなくすっきりしたというか、そういうポジティヴな開放感のようなものがあったのだと思う。まあ、そりゃそうだ。なにぶん、5年も付き合っていたのだ。
なぜ以前の相方と決定的な関係にならなかったのだろうか、と今にして考えるが、これも正確なところはよくわからない。自分のことながら、皆目よくわからないのである。別に仲が悪くなったわけではない。むしろ喧嘩すらまともにしたことのない5年間だった。それが倦怠の原因になったのではないか、という可能性はすぐ思い浮かんだが、それとて決定的な要因とは言えない。「倦怠」が理由の一端をなしていた、それも大きな一端をなしていたことは事実だと思うけれども、それがすべてではない。たぶん。おそらく。
喧嘩するほど仲がいい、とはよくいうけれども、私は「喧嘩する」ほど自己主張が強くない。たとえ付き合った相手の気性が激しくとも、大概自分が折れる。別にプライドがないわけではないが、どうも喧嘩の作法を私は知らない。これは私の個人的な、パーソナリティに関わる話なので詳しい説明は省くが、私は喧嘩ができないのである。無論、それが別れた原因だといえばそれもそうかもしれない、としか言えない。要するに、決定的な理由などなかったのだ。(たぶん)
私とて、別に以前の彼女に愛想を尽かしたわけではない。というか、私が他人に愛想を尽かすことは殆どない。これは別に誇張でもなんでもなく、実際そうなのである。
別れ際、私は彼女にメールを送った。内容は、そろそろ新しい段階に行かないか、と誘いをかけるものだった(もちろん、それなりのレトリックは駆使して)。それまでの長い期間、私たちの間には殆ど音信は絶えていた。実質的にはすでにこの時点で「破局」していたのだけど、私としては相手が「死に体」かどうか、窺う必要があると思った。そして返信は、あった。内容は、。。。。。。お察しの通りである。
そんなこんなで、なんやかんやで、以上の流れである。
そこに必然性は皆無。
別れた直後に、一月ほど置いて、再びパートナーを見出すに至る。
タイミング的に、次に付き合う相手は「結婚相手」しかいない、と思っていた。こういうことはアラサー女子が考えることであって、私のようなしがない男子が考えることではないのかもしれないが、なんとなく、そう思った。別れる直前に、そういう気分になっていたという事情もあるかもしれない。それで婚活サイトに登録してみた。なんとなく、ゲーム感覚で、メッセージの交換相手を見定めるうちに今の彼女と出会った。そういうと大変不謹慎なようであるけども、「婚活サイト」に登録している以上、自分も相手もそういう付き合いを求めていることが前提なのだから、私もそこは割り切って対応していたと思う。
初めてのデートで、私は告白した。
まあ、率直にね。
タイプです、って。
そこは、タイプなんてものはない、と普段から思っているくらいだから多少脚色が混じっているけども、実際、相手の空気感に親しみを覚えたことは事実である。どこかであったな、こんな感じ。なんとなく、懐かしい感じがした。と、これまた不謹慎な理由であろうか。
けれどももちろん、彼女は過去の幻影ではない。私にとって彼女は、今まで付き合ってきた異性の中でも最も自分に「合っている」と感じる。性格、好み、容姿、声、そのすべてにおいて。
こんなことを真面目に書いている自分が恥ずかしいが、自分が生涯のパートナーを選ぶとして、選ぶことができるとして、この人以上の人はたぶん、いないだろうな、と生理的に感じた。それが指輪を送った理由の殆どすべてである。あとの少しは、さあ、ご想像にお任せする。(無責任)
さて、思えば今年の上半期はいろいろなことがありすぎた。身内の死、新しい出会い。エンゲージリング。もはや自分でも半年前の自分は全然違う人であろうと思う。人生にはそういうタイミングが、あるのだろう。たぶん、これからも何度も。
私自身の心境の変化、といえば、家族というものに対する見方、それが少しだけ、リアリティを増した、とか、老い、というものがより重要なテーマとして浮上してきた、とか、そのくらいだろうか。相変わらずメランコリックな気質は変わらないし、相変わらずゴシックなものが好きである。たぶん、それは変わらないのだろう。
今後、やりたいことはいくつかあり、そうした個人的な願望と家庭と、どういう風に折り合いを付けていくかが一つ問題になりそうではある。まあ、これとて誰もが通る道といえばその通りで、別に私固有の問題とは言えない。ただ、どうせ気の向くまま、風の向くまま、に生きるのなら、自分なりの思想なり、哲学なりを持ちたいとは常に思っていて、それは日々の実践で示していく他ないと思っている。また、学術的な方面でも一つ、あるいはいくつか、自分なりに掘り下げてみたいと思うような問題系が姿を現しつつあるので、それをより明確にしてきたい。
どうなることやら。
ひとまずは、自分自身の体験を踏まえて、人が誰かと出会い、家族をなし、経済を作っていくとはどのような事象なのか、を考えてみたい。個人のライフサイクルにおける一連の「イベント」と、マクロ的な規模での経済事象との関わり、を歴史的なスパンを視野に入れて考えてみたい。
というと、なんだか壮大なテーマであるが、要するに、人は「個」であると同時に「種」なのである、ということが全面的に葛藤を孕んだ事象として浮かび上がってくる、顕在化する、のが、我々の生きている、今、という時代の一つの特徴、歴史的位置なんだ、という認識がまずあって、それを「私」という個人の経験、ないし、認識の次元から、考えてみたいのです。焦らず、じっくりとね。
告白は、観覧車の中。
シチュエーション的にはベタの王道を行く、という感じ。
ここまでの顛末を完結に述べると、
2月:某婚活サイトでメッセージを交換。デートする。
3月:正式に付き合う。@ジョイポリス。
5月:日光にお泊りデート。
7月:それぞれのおうちに挨拶
8月:イマココ
まあ、こんな感じ。なんやかんやで出会って半年なんですね。
実際に付き合い始めるまでは、まさか婚活サイトで知り合った相手とそういう関係になるとは思ってもいませんでした。まあ、合コンだとか、婚活だとか、今年に入るまで、もっというと、前年末に以前の相方と別れるまでまったく眼中にありませんでしたからね。人と人との出会いは作為的であるべきでない、とりわけ異性関係は神聖なものなのだ、という信念も人並みになかったといえば嘘になるでしょう。心からそう思っていたのかと言えばたぶん怪しいですけど。
元来ロマンチストである自分が婚活という「作為」を受け入れたのは、その時の気分がそうさせたのだというのがたぶん正しい。相方と別れて、肩の荷が下りたというか、なんとなくすっきりしたというか、そういうポジティヴな開放感のようなものがあったのだと思う。まあ、そりゃそうだ。なにぶん、5年も付き合っていたのだ。
なぜ以前の相方と決定的な関係にならなかったのだろうか、と今にして考えるが、これも正確なところはよくわからない。自分のことながら、皆目よくわからないのである。別に仲が悪くなったわけではない。むしろ喧嘩すらまともにしたことのない5年間だった。それが倦怠の原因になったのではないか、という可能性はすぐ思い浮かんだが、それとて決定的な要因とは言えない。「倦怠」が理由の一端をなしていた、それも大きな一端をなしていたことは事実だと思うけれども、それがすべてではない。たぶん。おそらく。
喧嘩するほど仲がいい、とはよくいうけれども、私は「喧嘩する」ほど自己主張が強くない。たとえ付き合った相手の気性が激しくとも、大概自分が折れる。別にプライドがないわけではないが、どうも喧嘩の作法を私は知らない。これは私の個人的な、パーソナリティに関わる話なので詳しい説明は省くが、私は喧嘩ができないのである。無論、それが別れた原因だといえばそれもそうかもしれない、としか言えない。要するに、決定的な理由などなかったのだ。(たぶん)
私とて、別に以前の彼女に愛想を尽かしたわけではない。というか、私が他人に愛想を尽かすことは殆どない。これは別に誇張でもなんでもなく、実際そうなのである。
別れ際、私は彼女にメールを送った。内容は、そろそろ新しい段階に行かないか、と誘いをかけるものだった(もちろん、それなりのレトリックは駆使して)。それまでの長い期間、私たちの間には殆ど音信は絶えていた。実質的にはすでにこの時点で「破局」していたのだけど、私としては相手が「死に体」かどうか、窺う必要があると思った。そして返信は、あった。内容は、。。。。。。お察しの通りである。
そんなこんなで、なんやかんやで、以上の流れである。
そこに必然性は皆無。
別れた直後に、一月ほど置いて、再びパートナーを見出すに至る。
タイミング的に、次に付き合う相手は「結婚相手」しかいない、と思っていた。こういうことはアラサー女子が考えることであって、私のようなしがない男子が考えることではないのかもしれないが、なんとなく、そう思った。別れる直前に、そういう気分になっていたという事情もあるかもしれない。それで婚活サイトに登録してみた。なんとなく、ゲーム感覚で、メッセージの交換相手を見定めるうちに今の彼女と出会った。そういうと大変不謹慎なようであるけども、「婚活サイト」に登録している以上、自分も相手もそういう付き合いを求めていることが前提なのだから、私もそこは割り切って対応していたと思う。
初めてのデートで、私は告白した。
まあ、率直にね。
タイプです、って。
そこは、タイプなんてものはない、と普段から思っているくらいだから多少脚色が混じっているけども、実際、相手の空気感に親しみを覚えたことは事実である。どこかであったな、こんな感じ。なんとなく、懐かしい感じがした。と、これまた不謹慎な理由であろうか。
けれどももちろん、彼女は過去の幻影ではない。私にとって彼女は、今まで付き合ってきた異性の中でも最も自分に「合っている」と感じる。性格、好み、容姿、声、そのすべてにおいて。
こんなことを真面目に書いている自分が恥ずかしいが、自分が生涯のパートナーを選ぶとして、選ぶことができるとして、この人以上の人はたぶん、いないだろうな、と生理的に感じた。それが指輪を送った理由の殆どすべてである。あとの少しは、さあ、ご想像にお任せする。(無責任)
さて、思えば今年の上半期はいろいろなことがありすぎた。身内の死、新しい出会い。エンゲージリング。もはや自分でも半年前の自分は全然違う人であろうと思う。人生にはそういうタイミングが、あるのだろう。たぶん、これからも何度も。
私自身の心境の変化、といえば、家族というものに対する見方、それが少しだけ、リアリティを増した、とか、老い、というものがより重要なテーマとして浮上してきた、とか、そのくらいだろうか。相変わらずメランコリックな気質は変わらないし、相変わらずゴシックなものが好きである。たぶん、それは変わらないのだろう。
今後、やりたいことはいくつかあり、そうした個人的な願望と家庭と、どういう風に折り合いを付けていくかが一つ問題になりそうではある。まあ、これとて誰もが通る道といえばその通りで、別に私固有の問題とは言えない。ただ、どうせ気の向くまま、風の向くまま、に生きるのなら、自分なりの思想なり、哲学なりを持ちたいとは常に思っていて、それは日々の実践で示していく他ないと思っている。また、学術的な方面でも一つ、あるいはいくつか、自分なりに掘り下げてみたいと思うような問題系が姿を現しつつあるので、それをより明確にしてきたい。
どうなることやら。
ひとまずは、自分自身の体験を踏まえて、人が誰かと出会い、家族をなし、経済を作っていくとはどのような事象なのか、を考えてみたい。個人のライフサイクルにおける一連の「イベント」と、マクロ的な規模での経済事象との関わり、を歴史的なスパンを視野に入れて考えてみたい。
というと、なんだか壮大なテーマであるが、要するに、人は「個」であると同時に「種」なのである、ということが全面的に葛藤を孕んだ事象として浮かび上がってくる、顕在化する、のが、我々の生きている、今、という時代の一つの特徴、歴史的位置なんだ、という認識がまずあって、それを「私」という個人の経験、ないし、認識の次元から、考えてみたいのです。焦らず、じっくりとね。
先日、学生時代の先輩の結婚式にお呼ばれしちゃったので行ってきました。
明治記念館、すばらしく大正ブルジョワな建築ですね。真田丸を見てだらだらしていたら家を出るのが遅れ、到着がギリギリになってしまい、やむなく欠席しようかと考えもしましたが、なんとか間に合ってほっとしました(もう少しちゃんとした社会人であるべきだといつも思うのだよ、これでも)。
すばらしく金がかかった披露宴でした。さすがは公務員夫婦。市民の税金がこのような形で還元されることで社会は回っていくのですから、これは正しい浪費の仕方なのです。別に皮肉ではなく(私も公僕だ)。部活のメンバーの結婚式に出席するのはこれで三回目なのだが、どんどん豪華な仕様になっている気がする。別に対抗意識があるわけでもないだろうに、どうもみんな豪華なものになるのだ。
私が結婚式を挙げるとすれば、やはり日本古来の式に則ったものと、現代社会生活をある程度反映した西洋文明の栄華(すなわち俗化されたキリスト教的モチーフ)とを両方とも取り入れたいと考えているが、さすがにあそこまで豪華なものにされると躊躇する。まあ、所詮、結婚式なんてものは見栄をはる場でしかないのだから、そこは体面をとるか、コスパをとるか、妥協するしかあるまい。
うちの嫁は割とポピュラリティのある価値観を持っているので、そこは世間の常識に適った形式でやることを望むだろう。私の場合は、いつか吐露したように、棺桶の中から目覚めたヴァンパイアに扮した特殊メイクで着飾った私が中世の古城に眠る美しい姫君を月夜の晩にさらい永遠の口づけをかわす、ような趣向でもぜんぜん構わないのだが。
ところで、先日嫁と飲んだときに将来の話になり、私は老後のことを最近よく考える、なんてことを言ったら嫁が、その前にまずお父さんになるわけでしょう、と極めて常識的なつっこみを入れてきたのである。確かに老害になる前にまず親になるのが時間的順序である、というか天地の摂理であることは否定しがたいが、なんとなく私は、親になることよりも歳をとることのほうを重くみるきらいがある。
親になることは全然当たり前ではないので親になることはある種の選択であり、人為である。けれども、老いることは選択の結果でなくて必然であるのだから、親になることよりもより深刻である、と理屈をこねることもできるが、たぶんそうではない。親になっても私は私だが歳をとった私は全然私ではない可能性がある。こういうことではないか。
嫁がいて、子供がいる生活というのは私の身体が引き受けるものであるが、老いというものはその身体自体の変化なのであるから、親になることよりもより本質的変化であるといえはしないか。嫁を持ち、子供を持つこの身体が老いてゆくのである。家族は老いの中に包摂されているともいえるのではないか。
家族を持つ、ことも老いのある種の形態である。人は老いることで家族を持つようになる。いや、老いるからこそ、家族を持つのだ。
だが、女性にとって子供を持つということが男性よりもより本質的な経験として捉えられるのは当然と言えば当然なので、うちの嫁とのそういう感覚の違いをことさら持ち上げる必要はあまりないのかもしれない。父親にとって子供はやはり肉体の外にあるものだし、その点、自らの肉体と直接繋がっている母親とは子供を持つ、という経験における身体的感度に自ずから差が生じる。
だが、私にとって「老い」ということが人生のテーマにおいて本質的である理由は、老いという事象の中に、人間の救いのなさ、というか、幸福というものの不確かさが、すべて現れているような気がしてならないから、なのかもしれない。私は幸福というものに非常に懐疑的なのだ。
幸福というものに懐疑的であるほうが安定した心持で世の中を渡ることができるのではないか、という気がしてならない(いつだって安定志向)。束の間の幸福という形でしか幸福を生きることができないなら常に警戒していたほうがいざという時の心構えにもなる。
無心に幸福を祝う、なんてことをやる祝宴というのは気が気でない。結婚式とは恐ろしい行事である。おそらく私が恐れているもっとも厳粛な儀式。こんな非人間的で野蛮な風習は心を無にして乗り切るしかあるまい、と今から腹を括ってしまいたくなる。
私にとって常識的な感覚というのは極めて悍ましいものに見えることが多々あるので、これもそういうイニシエーションだと思って諦めるより他ない。そんな風にして、私は最近、いろいろなことを諦めているような気がする。私の思い通りにならない世界に対して、ではなくて、思い通りにならない私自身に対して、なのかもしれない。
というか、世の中こういう風にあってほしいという思いはすべて傲岸不遜な願いだし、私はそれほど強い怨念を世の中に対して抱いているわけではない。常識人というものが、単に恐ろしい。それだけである。私は臆病者であるに過ぎない。
私は自分を極めて普通の人、というか凡人だと思っているし、私ほど「典型」という言葉が似あう人間は極めて稀なのではないか、とすら思えてくるほどに、バランスのとれた人格と肉体を有している、と考えている(どんな自己意識だそれは)。
なにも誇張した表現でなく、本当に、マジでそう思っているので、私のことを変わっているという連中のほうが頭がおかしいのではないか、とよく思う。が、それも最近はどうでもよくなった。人間はそれぞれみな個性的なものだ、そんな風に、出会った初日にうちの嫁は言った。その極めて常識的な表現に思わず唸った。誠にその通りだ。私だってそうに違いないと思っているよ、心から。
そして最近はもう、そんな自意識に悩まされることもだいぶ少なくなった。どうでもいい。なにもかもどうでもいい。そんなアナーキストのような気分に浸ることが多い。別に毎日つまらないわけではなく、本当にどうでもいいことが世の中多すぎるのだ。
こういうことを書くとうちの嫁は極めて常識人で、だからお前は彼女を選んだんだろう、と思う向きもあるかもしれないが、私からすれば彼女の方もだいぶ「ズレ」ているので、彼女からすれば私のほうが遥かに常識人に見える、ということもないわけではないのではないか(いや、それはちょっと反語的すぎるかもしれない、と自分でも思う)。
私からすると、彼女はあまりに世界を楽観視し過ぎているきらいがあるし、その点はとても不安に思う。けれど私があまりに鬱屈した性格なので彼女の気質の方が標準的なものに近いのかもしれない。
不安、漠然とした不安、あの芥川を自殺に追い込んだ「ぼんやりとした不安」というのはこういう気質のことを言うのかどうか、昔から思うところがある。別に健康に難があるわけでもなし、何か生活上の困難を抱えているわけでもなし、容姿に格別問題があるわけでもない人間が何か終始鬱屈した気分を抱えているとすればそれは性格、気質に拠るもの、としか考えられない。けれど私自身は案外、こういう気分にある時の自分が好きなのかもしれない。というか好きなのだ。こういう気分が。すっきりとしない感覚を抱えているほうが落ち着くのだろう。
もちろん私だって人並みに、青い空の下で健康的に生きていきたいと思う。それを実現できる条件は私にだって、あるはずなのに、なかなかそういう方向に気分が向かないことが多い。
このメランコリーは反転する。反転すれば、一見肯定的な世界観になる。その反転した眼差しで、人を見ることに慣れてしまうことは、老いを先取りしているようで、きっと後で反動がくるに違いない。それがまた恐ろしい。
ああ、これもとりあえずは「どうでもいいこと」だろうな。
彼女からすると、私はとても心配事なんてなさそうな人に見えるらしい。自分でもそう思う。自分で思っているほど私は深刻な人ではないのだ。そんな風にありたいと思うよ、これからも。
明治記念館、すばらしく大正ブルジョワな建築ですね。真田丸を見てだらだらしていたら家を出るのが遅れ、到着がギリギリになってしまい、やむなく欠席しようかと考えもしましたが、なんとか間に合ってほっとしました(もう少しちゃんとした社会人であるべきだといつも思うのだよ、これでも)。
すばらしく金がかかった披露宴でした。さすがは公務員夫婦。市民の税金がこのような形で還元されることで社会は回っていくのですから、これは正しい浪費の仕方なのです。別に皮肉ではなく(私も公僕だ)。部活のメンバーの結婚式に出席するのはこれで三回目なのだが、どんどん豪華な仕様になっている気がする。別に対抗意識があるわけでもないだろうに、どうもみんな豪華なものになるのだ。
私が結婚式を挙げるとすれば、やはり日本古来の式に則ったものと、現代社会生活をある程度反映した西洋文明の栄華(すなわち俗化されたキリスト教的モチーフ)とを両方とも取り入れたいと考えているが、さすがにあそこまで豪華なものにされると躊躇する。まあ、所詮、結婚式なんてものは見栄をはる場でしかないのだから、そこは体面をとるか、コスパをとるか、妥協するしかあるまい。
うちの嫁は割とポピュラリティのある価値観を持っているので、そこは世間の常識に適った形式でやることを望むだろう。私の場合は、いつか吐露したように、棺桶の中から目覚めたヴァンパイアに扮した特殊メイクで着飾った私が中世の古城に眠る美しい姫君を月夜の晩にさらい永遠の口づけをかわす、ような趣向でもぜんぜん構わないのだが。
ところで、先日嫁と飲んだときに将来の話になり、私は老後のことを最近よく考える、なんてことを言ったら嫁が、その前にまずお父さんになるわけでしょう、と極めて常識的なつっこみを入れてきたのである。確かに老害になる前にまず親になるのが時間的順序である、というか天地の摂理であることは否定しがたいが、なんとなく私は、親になることよりも歳をとることのほうを重くみるきらいがある。
親になることは全然当たり前ではないので親になることはある種の選択であり、人為である。けれども、老いることは選択の結果でなくて必然であるのだから、親になることよりもより深刻である、と理屈をこねることもできるが、たぶんそうではない。親になっても私は私だが歳をとった私は全然私ではない可能性がある。こういうことではないか。
嫁がいて、子供がいる生活というのは私の身体が引き受けるものであるが、老いというものはその身体自体の変化なのであるから、親になることよりもより本質的変化であるといえはしないか。嫁を持ち、子供を持つこの身体が老いてゆくのである。家族は老いの中に包摂されているともいえるのではないか。
家族を持つ、ことも老いのある種の形態である。人は老いることで家族を持つようになる。いや、老いるからこそ、家族を持つのだ。
だが、女性にとって子供を持つということが男性よりもより本質的な経験として捉えられるのは当然と言えば当然なので、うちの嫁とのそういう感覚の違いをことさら持ち上げる必要はあまりないのかもしれない。父親にとって子供はやはり肉体の外にあるものだし、その点、自らの肉体と直接繋がっている母親とは子供を持つ、という経験における身体的感度に自ずから差が生じる。
だが、私にとって「老い」ということが人生のテーマにおいて本質的である理由は、老いという事象の中に、人間の救いのなさ、というか、幸福というものの不確かさが、すべて現れているような気がしてならないから、なのかもしれない。私は幸福というものに非常に懐疑的なのだ。
幸福というものに懐疑的であるほうが安定した心持で世の中を渡ることができるのではないか、という気がしてならない(いつだって安定志向)。束の間の幸福という形でしか幸福を生きることができないなら常に警戒していたほうがいざという時の心構えにもなる。
無心に幸福を祝う、なんてことをやる祝宴というのは気が気でない。結婚式とは恐ろしい行事である。おそらく私が恐れているもっとも厳粛な儀式。こんな非人間的で野蛮な風習は心を無にして乗り切るしかあるまい、と今から腹を括ってしまいたくなる。
私にとって常識的な感覚というのは極めて悍ましいものに見えることが多々あるので、これもそういうイニシエーションだと思って諦めるより他ない。そんな風にして、私は最近、いろいろなことを諦めているような気がする。私の思い通りにならない世界に対して、ではなくて、思い通りにならない私自身に対して、なのかもしれない。
というか、世の中こういう風にあってほしいという思いはすべて傲岸不遜な願いだし、私はそれほど強い怨念を世の中に対して抱いているわけではない。常識人というものが、単に恐ろしい。それだけである。私は臆病者であるに過ぎない。
私は自分を極めて普通の人、というか凡人だと思っているし、私ほど「典型」という言葉が似あう人間は極めて稀なのではないか、とすら思えてくるほどに、バランスのとれた人格と肉体を有している、と考えている(どんな自己意識だそれは)。
なにも誇張した表現でなく、本当に、マジでそう思っているので、私のことを変わっているという連中のほうが頭がおかしいのではないか、とよく思う。が、それも最近はどうでもよくなった。人間はそれぞれみな個性的なものだ、そんな風に、出会った初日にうちの嫁は言った。その極めて常識的な表現に思わず唸った。誠にその通りだ。私だってそうに違いないと思っているよ、心から。
そして最近はもう、そんな自意識に悩まされることもだいぶ少なくなった。どうでもいい。なにもかもどうでもいい。そんなアナーキストのような気分に浸ることが多い。別に毎日つまらないわけではなく、本当にどうでもいいことが世の中多すぎるのだ。
こういうことを書くとうちの嫁は極めて常識人で、だからお前は彼女を選んだんだろう、と思う向きもあるかもしれないが、私からすれば彼女の方もだいぶ「ズレ」ているので、彼女からすれば私のほうが遥かに常識人に見える、ということもないわけではないのではないか(いや、それはちょっと反語的すぎるかもしれない、と自分でも思う)。
私からすると、彼女はあまりに世界を楽観視し過ぎているきらいがあるし、その点はとても不安に思う。けれど私があまりに鬱屈した性格なので彼女の気質の方が標準的なものに近いのかもしれない。
不安、漠然とした不安、あの芥川を自殺に追い込んだ「ぼんやりとした不安」というのはこういう気質のことを言うのかどうか、昔から思うところがある。別に健康に難があるわけでもなし、何か生活上の困難を抱えているわけでもなし、容姿に格別問題があるわけでもない人間が何か終始鬱屈した気分を抱えているとすればそれは性格、気質に拠るもの、としか考えられない。けれど私自身は案外、こういう気分にある時の自分が好きなのかもしれない。というか好きなのだ。こういう気分が。すっきりとしない感覚を抱えているほうが落ち着くのだろう。
もちろん私だって人並みに、青い空の下で健康的に生きていきたいと思う。それを実現できる条件は私にだって、あるはずなのに、なかなかそういう方向に気分が向かないことが多い。
このメランコリーは反転する。反転すれば、一見肯定的な世界観になる。その反転した眼差しで、人を見ることに慣れてしまうことは、老いを先取りしているようで、きっと後で反動がくるに違いない。それがまた恐ろしい。
ああ、これもとりあえずは「どうでもいいこと」だろうな。
彼女からすると、私はとても心配事なんてなさそうな人に見えるらしい。自分でもそう思う。自分で思っているほど私は深刻な人ではないのだ。そんな風にありたいと思うよ、これからも。
人工頭脳が政治や行政の場に進出する時、そこで生じる問いは、究極的には、「人間は人間以外のものに『正義』の問題を委ねることができるのか」という問いだと思っている。
国会議員たちの喧々諤々の議論よりも、AIのほうが「効率的な社会政策」を導き出せるはずだ、という人もいる。けれども、喧々諤々の議論の末に出てきた結論に我々が納得しないからといって、人工頭脳が導き出した「答え」に対して我々が難癖をつけないだろう、とどうして言えるのだろう。
最終的な審級を人間以外のものにする、これは「革命」とも思える。けれどミクロな部分では、そうした「革命」はすでにじわりじわりと浸透してきているのではないか、という気もする。
様々な手続きが簡単になる、便利になるということは、そこに働いていた判断作用がいかなる性質のものであったのかを忘れさせる。「あれかこれか」という選択肢が示された時点で、もはや人間には「あれかこれか」しか選択の余地はないのである。これはどういうことか。
裁判官に「権威」があるのは「自由心証主義」だからですよね。裁判官は最終的な審級であると同時にその判断には裁量という名の自由がある。だからこそ「正義」が実現できるのだともいえる。裁判官の「良心的な判断」というやつね。
人々が待ち望んでいる答えが「正義」なんじゃない。こうあるべき、なのに、そうならない、時に正義が実現する余地がある。こうあるべきものがそうなっている時には「正義」は問題にならない。
だから、「あれかこれか」という場では「正義」の話なんてできないわけです。あれでもなく、これでもない、という判断作用が可能であるという状況の中で「正義」の問題は出現するのだから。
そういう意味では、正義とは「秘められたもの」であるともいえる。あれでもなくこれでもない、という状況の中で示されるものに対する「期待」こそが、正義を出現させる。正義は期待なのだ。期待は秘められていなければならない。漠然としていなければならない。
だから、漠然とした不安、ないし、その裏面としての期待のないところには正義は出現しない。あれかこれか、という世界にはその漠然さが足りない。
ミクロな部分での変化を追う、というのは面白い。「電子認証システム」なんか、あんなものがなぜ「認証」になるのか、ということは純粋に法的思考からは説明がつかないことだから。
何を信じるか、ということですよね。何が信頼できるのか、というのは社会的な感受性の問題なのだ。だからどちらかというと、社会心理学とか社会学とかの問題なんだと思う。
国会議員たちの喧々諤々の議論よりも、AIのほうが「効率的な社会政策」を導き出せるはずだ、という人もいる。けれども、喧々諤々の議論の末に出てきた結論に我々が納得しないからといって、人工頭脳が導き出した「答え」に対して我々が難癖をつけないだろう、とどうして言えるのだろう。
最終的な審級を人間以外のものにする、これは「革命」とも思える。けれどミクロな部分では、そうした「革命」はすでにじわりじわりと浸透してきているのではないか、という気もする。
様々な手続きが簡単になる、便利になるということは、そこに働いていた判断作用がいかなる性質のものであったのかを忘れさせる。「あれかこれか」という選択肢が示された時点で、もはや人間には「あれかこれか」しか選択の余地はないのである。これはどういうことか。
裁判官に「権威」があるのは「自由心証主義」だからですよね。裁判官は最終的な審級であると同時にその判断には裁量という名の自由がある。だからこそ「正義」が実現できるのだともいえる。裁判官の「良心的な判断」というやつね。
人々が待ち望んでいる答えが「正義」なんじゃない。こうあるべき、なのに、そうならない、時に正義が実現する余地がある。こうあるべきものがそうなっている時には「正義」は問題にならない。
だから、「あれかこれか」という場では「正義」の話なんてできないわけです。あれでもなく、これでもない、という判断作用が可能であるという状況の中で「正義」の問題は出現するのだから。
そういう意味では、正義とは「秘められたもの」であるともいえる。あれでもなくこれでもない、という状況の中で示されるものに対する「期待」こそが、正義を出現させる。正義は期待なのだ。期待は秘められていなければならない。漠然としていなければならない。
だから、漠然とした不安、ないし、その裏面としての期待のないところには正義は出現しない。あれかこれか、という世界にはその漠然さが足りない。
ミクロな部分での変化を追う、というのは面白い。「電子認証システム」なんか、あんなものがなぜ「認証」になるのか、ということは純粋に法的思考からは説明がつかないことだから。
何を信じるか、ということですよね。何が信頼できるのか、というのは社会的な感受性の問題なのだ。だからどちらかというと、社会心理学とか社会学とかの問題なんだと思う。
伝統芸能は身体にいい、という言説をたまに見る。
このことの真実はさておき、伝統芸能の世界に片足を踏み入れることが健康に繋がるという保証はなく、むしろ人間を不健康にすることのほうが多いのではないか。
と、いうようなことを考えるに至ったのは、先日、友人が出演する舞台を見に行った時である。正直、なんて健全な世界にいるんだろうと思った。劇団員、というと、世間では良くも悪くもアングラなイメージを与えられ、「健全さ」からは程遠い印象を持たれている方も多いかと思う。現に、私はそんなステレオタイプを抱いていた。
今でも、そういう偏見が消えたわけではない。劇団員、というとなにかチャラチャラしてそう、だというイメージは残念ながら、劇団員という世界に関心を持つ青年淑女諸君にとっても、魅力にこそなれ、そこから遠ざけるマイナスイメージとはあまりならないだろう。だが、その話はここでは直接関係がない。
伝統芸能の世界が不健康であり、現代演劇の世界が健康である、というのは極論かもしれない。おそらくそうだろう。伝統芸能といっても、私が知っているのはその中でも「能楽」という一部門の、さらにほんの一部の世界でしかないし、現代演劇の世界に関しては全くの素人に等しい。しかしそれでも、最初に述べた私の感慨にはそれなりの理屈がある。
まず、伝統芸能に世界に片足を突っ込もうとする人たち(両足ではない)には、多かれ少なかれ、それが「伝統芸能」であることに価値を見出している人たちが多い、ということがまず挙げられる。現代演劇の世界は常にフロンティアであるから、確立された権威なるものを身にまとう昂揚感といった要素は、皆無ではないにしても、外部からその世界に新しく参入しようとする人々を引き付ける主因になるものではない。ところが、伝統芸能、殊に、参入障壁の比較的ゆるいものにはこうした「伝統」を身にまとうこと自体が、「自分に箔をつける」ことになると無意識的にしろ、意識的にしろ、考えている人々が一定数存在する。いや、「一定数」という言い方はかなり甘めにつけたもので、実際には「大半は」と言い換えてもいいくらいかもしれない。
かつて、私が伝統芸能の世界に触れてみたくなったのも、それが「伝統芸能」であるというそのことから離れて理解することは適当ではないだろう。私は確かに、それが「能楽」だから、600年も続く伝統だから、興味を覚えた、関心を抱いた、ことは否めない。そして、それがある種の「権威」を帯びているからこそ、その世界の一端に触れてみたいとも思った、これが理由のすべてではないにしろ、この、確立された権威である、という一点をのぞいたら私は他のサークルに行っていたかもしれない。
伝統芸能を稽古している、ということは、それ自体がある種のステータスになることは否めない。それは歴史的に見ても、不可避的に「教養」なるものと結びついてくる。良家の子女はみなこぞってお琴やお茶や書道の稽古に励む。そんな時代もあったし、今でも部分的にはそうだ。だから、こういう世界において伝統芸能を習う、というその事実が持つ社会的意味付けを捨象してその精神性のみを問うことはかえって無意味なことなのかもしれない。けれども、先日、舞台で友人の姿を見て、果たして本当に私は、彼と同じ、「舞台の稽古をしている」と言えるだろうか?と自分に問いかけずにはいられなかった。私は彼と同じ「稽古」なんてしていないじゃないか。自分の芸の上達のみを目指して自分の全精神性をかけて稽古に臨んでいる彼の姿から見て、私のやっていることはなんて「不健全」なんだろう、と。
同じ「アマチュア」でも覚悟と矜持が違う。そのように思わせられることもある。何しろ、向うは自分で上達しなければレゾンデートルが保てない。劇団員である、ことには殆ど意味がない。よい役者にならなければならない。そこにすべてを賭けなければならない。伝統芸能において「アマチュア」というのは、常に背後にそうした伝統を重んじる世界が横たわっていて、自分自身の未熟さを救ってくれることがある。演技は下手だ。だがしかし伝統芸能だ。それがなんだ、という話だが、実際そうなのだから仕方がない。
よいアマチュアでいるためには健全な自意識を育むことが大切であると思う。つまり、あまり図に乗るな、ということである。自分はいつまでも未熟者であり、習練が必要である。日々修業。日々鍛錬。没自我。こういう謙虚さ。伝統芸能の世界に「片足を突っ込む」アマチュアにはその伝統それ自体が自らを何者かにしてくれるのではないか、という淡い期待を抱かせる誘惑が大敵となる。これに打ち克つことは容易ではない。なぜなら、その誘惑それ自体が、当の本人をその世界に引き留めている引力の源でもあるからだ。
伝統芸能の世界にアマチュアでいる、ということにはかくして誘惑が多い。自意識を堕落させてしまうような不健康さがどうしても付きまとうのである。ここで「王道」ということが重要になる。正々堂々と、正面から芸事に励み、常に謙虚な態度で臨むこと。それが、王道を行く、ということではないだろうか。よきアマチュアでいる、ということは、王道を行く、ことでなければならない。別の世界にいる他者を僻んだり、迂遠なことをして妙な自意識の慰め方をしないことである。王道、とは、自意識過剰が矯正される場でないか。同じ道を究めようとする者たちが客観的に自分の芸の未熟さを見つめ、上達へ精進することができる道こそが「王道」というべきなのだ。
現代演劇の劇団員には常にこの「王道」を行かねばならないという誘因が存在する。常にフロンティアの世界では、自意識の慰めなどまったく無意味だからだ。伝統芸能の世界、そこへアマチュアとして参入するということはこの「自意識の慰め」という逃げ道をいかに潔く回避できるかが「王道」とそれ以外とを分かつ重要な岐路となる。
さて、この「自意識の慰め」というのは現代の「知識消費社会」のエッセンスとも言える。
我々は常に他者と違った存在でありたいと願い、市場がその願いをかなえる。願望充足の機会はいまや、ありふれてるとすら言える。様々な通信講座や資格、学位、同人サークルなど。私は私の望むものに、時間と費用をかけさえすれば、なることができるような、そんな感じがする。
でも、本当にそうだろうか?
私は私のなりたいものになれる、そんな欲望が市場を支え、市場を作っている。私は単に、願望充足の市場に流通する「商品」に過ぎないかもしれない。あるいは、お客さん?
単に「消費者」でしかない、という自嘲から自分自身を救い出すものは自分が生産者であり得るという「妄想」に過ぎないのだろうか。「伝統芸能」の世界は、そんな知識消費社会から遠いところにあるようで、実は本当に近いところにある気がしている。そういう意味で、伝統芸能の敷居が高いとは、必ずしも思わない。
ここまで書いてきて、「健康」と「不健康」についてもう少し自分なりに掘り下げた見解を提示しなければならないように思われてきたのだが、これはまた別の機会にしよう。
このことの真実はさておき、伝統芸能の世界に片足を踏み入れることが健康に繋がるという保証はなく、むしろ人間を不健康にすることのほうが多いのではないか。
と、いうようなことを考えるに至ったのは、先日、友人が出演する舞台を見に行った時である。正直、なんて健全な世界にいるんだろうと思った。劇団員、というと、世間では良くも悪くもアングラなイメージを与えられ、「健全さ」からは程遠い印象を持たれている方も多いかと思う。現に、私はそんなステレオタイプを抱いていた。
今でも、そういう偏見が消えたわけではない。劇団員、というとなにかチャラチャラしてそう、だというイメージは残念ながら、劇団員という世界に関心を持つ青年淑女諸君にとっても、魅力にこそなれ、そこから遠ざけるマイナスイメージとはあまりならないだろう。だが、その話はここでは直接関係がない。
伝統芸能の世界が不健康であり、現代演劇の世界が健康である、というのは極論かもしれない。おそらくそうだろう。伝統芸能といっても、私が知っているのはその中でも「能楽」という一部門の、さらにほんの一部の世界でしかないし、現代演劇の世界に関しては全くの素人に等しい。しかしそれでも、最初に述べた私の感慨にはそれなりの理屈がある。
まず、伝統芸能に世界に片足を突っ込もうとする人たち(両足ではない)には、多かれ少なかれ、それが「伝統芸能」であることに価値を見出している人たちが多い、ということがまず挙げられる。現代演劇の世界は常にフロンティアであるから、確立された権威なるものを身にまとう昂揚感といった要素は、皆無ではないにしても、外部からその世界に新しく参入しようとする人々を引き付ける主因になるものではない。ところが、伝統芸能、殊に、参入障壁の比較的ゆるいものにはこうした「伝統」を身にまとうこと自体が、「自分に箔をつける」ことになると無意識的にしろ、意識的にしろ、考えている人々が一定数存在する。いや、「一定数」という言い方はかなり甘めにつけたもので、実際には「大半は」と言い換えてもいいくらいかもしれない。
かつて、私が伝統芸能の世界に触れてみたくなったのも、それが「伝統芸能」であるというそのことから離れて理解することは適当ではないだろう。私は確かに、それが「能楽」だから、600年も続く伝統だから、興味を覚えた、関心を抱いた、ことは否めない。そして、それがある種の「権威」を帯びているからこそ、その世界の一端に触れてみたいとも思った、これが理由のすべてではないにしろ、この、確立された権威である、という一点をのぞいたら私は他のサークルに行っていたかもしれない。
伝統芸能を稽古している、ということは、それ自体がある種のステータスになることは否めない。それは歴史的に見ても、不可避的に「教養」なるものと結びついてくる。良家の子女はみなこぞってお琴やお茶や書道の稽古に励む。そんな時代もあったし、今でも部分的にはそうだ。だから、こういう世界において伝統芸能を習う、というその事実が持つ社会的意味付けを捨象してその精神性のみを問うことはかえって無意味なことなのかもしれない。けれども、先日、舞台で友人の姿を見て、果たして本当に私は、彼と同じ、「舞台の稽古をしている」と言えるだろうか?と自分に問いかけずにはいられなかった。私は彼と同じ「稽古」なんてしていないじゃないか。自分の芸の上達のみを目指して自分の全精神性をかけて稽古に臨んでいる彼の姿から見て、私のやっていることはなんて「不健全」なんだろう、と。
同じ「アマチュア」でも覚悟と矜持が違う。そのように思わせられることもある。何しろ、向うは自分で上達しなければレゾンデートルが保てない。劇団員である、ことには殆ど意味がない。よい役者にならなければならない。そこにすべてを賭けなければならない。伝統芸能において「アマチュア」というのは、常に背後にそうした伝統を重んじる世界が横たわっていて、自分自身の未熟さを救ってくれることがある。演技は下手だ。だがしかし伝統芸能だ。それがなんだ、という話だが、実際そうなのだから仕方がない。
よいアマチュアでいるためには健全な自意識を育むことが大切であると思う。つまり、あまり図に乗るな、ということである。自分はいつまでも未熟者であり、習練が必要である。日々修業。日々鍛錬。没自我。こういう謙虚さ。伝統芸能の世界に「片足を突っ込む」アマチュアにはその伝統それ自体が自らを何者かにしてくれるのではないか、という淡い期待を抱かせる誘惑が大敵となる。これに打ち克つことは容易ではない。なぜなら、その誘惑それ自体が、当の本人をその世界に引き留めている引力の源でもあるからだ。
伝統芸能の世界にアマチュアでいる、ということにはかくして誘惑が多い。自意識を堕落させてしまうような不健康さがどうしても付きまとうのである。ここで「王道」ということが重要になる。正々堂々と、正面から芸事に励み、常に謙虚な態度で臨むこと。それが、王道を行く、ということではないだろうか。よきアマチュアでいる、ということは、王道を行く、ことでなければならない。別の世界にいる他者を僻んだり、迂遠なことをして妙な自意識の慰め方をしないことである。王道、とは、自意識過剰が矯正される場でないか。同じ道を究めようとする者たちが客観的に自分の芸の未熟さを見つめ、上達へ精進することができる道こそが「王道」というべきなのだ。
現代演劇の劇団員には常にこの「王道」を行かねばならないという誘因が存在する。常にフロンティアの世界では、自意識の慰めなどまったく無意味だからだ。伝統芸能の世界、そこへアマチュアとして参入するということはこの「自意識の慰め」という逃げ道をいかに潔く回避できるかが「王道」とそれ以外とを分かつ重要な岐路となる。
さて、この「自意識の慰め」というのは現代の「知識消費社会」のエッセンスとも言える。
我々は常に他者と違った存在でありたいと願い、市場がその願いをかなえる。願望充足の機会はいまや、ありふれてるとすら言える。様々な通信講座や資格、学位、同人サークルなど。私は私の望むものに、時間と費用をかけさえすれば、なることができるような、そんな感じがする。
でも、本当にそうだろうか?
私は私のなりたいものになれる、そんな欲望が市場を支え、市場を作っている。私は単に、願望充足の市場に流通する「商品」に過ぎないかもしれない。あるいは、お客さん?
単に「消費者」でしかない、という自嘲から自分自身を救い出すものは自分が生産者であり得るという「妄想」に過ぎないのだろうか。「伝統芸能」の世界は、そんな知識消費社会から遠いところにあるようで、実は本当に近いところにある気がしている。そういう意味で、伝統芸能の敷居が高いとは、必ずしも思わない。
ここまで書いてきて、「健康」と「不健康」についてもう少し自分なりに掘り下げた見解を提示しなければならないように思われてきたのだが、これはまた別の機会にしよう。