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とりあえず日々考えたことを書いていこうと思う。
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カトリック教会の場合、日本において宗教法人法上の法人格を持つのは各「司教区」です。日本には計16の司教区と3つの大司教区があり、カトリック東京大司教区は3つある大司教区のうちの一つ。これら大司教区は複数の教区を束ねる「教会管区(Provincia ecclesiastica)」であると同時に、単独の教区(Dioecesis)でもあります。



つまり、カトリック東京大司教区の大司教(Archiepiscopus)は単独の司教区の司教であると同時に、東京管区の首都大司教(Metropolita)でもある。カトリック東京大司教区はバチカンを包括宗教団体とする被包括宗教法人です。ということは、その宗教法人法上の代表役員選任の手続きには原則として、カトリックの宗務規則(カノン法)と東京大司教区自体の個別規則を参照する必要が生じます。



ちなみに、全世界共通のカトリック教会法典において司教の着座(就任)を規定した部分は以下のような条文になっている。




「第382条 
司教に任命された者は、(中略)……同任命書を受けて後2か月以内に、教会法の定めるところにより自己の教区に就任しなければならない。
司教は、教会法上の就任に当たり、当該教区において文書を作成すべき教区事務局長の同席のもとに、自ら、又は代理人を介して顧問団に使徒座任命書を提示することによって着座を行う。」
(日本カトリック司教協議会教会行政法制委員会訳『カトリック新教会法典』有斐閣、p.209からの抜粋。)




「任命」から、教区への「就任」までには実際にはタイムラグがある。
代表役員の就任日は司教区への「着座」を認められた日です。上記に挙げたカトリック教会法の第382条にあるように、着座には教区事務局長が立ち会いますので、就任したことの証明は教区事務局長名義で差し支えないと思います。




この法人の場合、代表役員は司教区の教区長をもって充てるとされており、選任方法としては「充当制」を採用しているとみられる。充当制における代表役員選任過程においては、母体宗教団体における選任手続と代表役員選任の手続きが一体となっているので、バチカンが新大司教を任命した時点で、旧代表役員は資格喪失により退任する(代表役員のポストは一つであるため)と一応は理論構成することができるが、前代表役員が「辞任届」を出している場合、本人の意思により辞任したとみなすことも可能だろうか?




なぜこんなことを問題にするのかといえば、宗教法人の役員の間で仮に争いがあった場合、本人の意思がどのようなものであるかを探究することは重要な場合があるからです(先日の富岡八幡宮の事件を思い起こしてください)。しかしそもそも、充当制を採用している場合において、代表役員としての地位のみを退く、ということは可能なのか。一つの見方としては、代表役員と法人との関係については準委任の関係に立つので、いつでも辞任することができるという解釈が成り立つ(民法651条)。一方で、宗教法人の規定に「代表役員は司教の職にあるものをもって充てる」というような規定がある場合は、司教の職にある限りは代表役員としての地位を辞めることができないと解すことができそうである。そうすると、仮に前任者がバチカンに対して「辞任届」を出しているとしても、それがバチカンによって受理され、後任者が任命されるまでは代表役員の辞任届は効力を有しないとみることもできる。このような考え方をすれば、カトリック東京大司教区の大司教は代表役員を資格喪失により(すなわち後任者の選任により)「退任」することはできても、自ら「辞任」することはできない、という考え方が成り立つ。




最も、これは宗教法人法上の役員選任の話であり、実体的には、前任者の大司教はバチカンに対して辞任届を出しているはずである。当人の意思に重点を置くならば「辞任」という表現が正しいのだろうし、法的理論構成の厳密さを追求するなら「退任」のほうが収まりが良い。この辺りは意見が割れるところだろうと思う。教皇庁の任命書があるなら新代表者についての証明には真正担保が十分にとれているので、当人の意思の問題はクリアできるとするなら、「退任」構成のほうが無難かもしれない。

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今日はお寺の住職さんの選任の関係で疑義がある事案を調べていたのですが、タイムリーなので神社の話をします(なんでやねん)。



まず、原則として宗教法人というのは「法人」としての性質(世俗性)と「宗教団体」としての性質(宗教性)を併せ持つという特徴があります。



宗教法人について定める宗教法人法(以下、「宗法」)では、「法人」としての宗教法人が定めるべき事項を規定しているほかは、多くの細則について宗教団体が任意で定める「規則」に自治を委ねています。この「規則」というのは会社でいうところの「定款」ですね。この規則を都道府県知事に認証してもらい、登記をすることで、宗教法人は成立するわけです(宗法第15条)。



宗教法人にはその機関として、「責任役員」が3名以上、そのうち一人を「代表役員」として定めなければなりません。この「責任役員」とか「代表役員」というのはあくまで法律上の資格名であり、規則上では「宮司」であったり、「住職」であったりするわけです。神社であれば、代表役員は「宮司」です(例外はあるかもしれません)(宗法第18条)。




法律上の規律は宗教法人に及ばない、と思う人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。同法第18条第5項では以下のように規定されています。




「代表役員及び責任役員は、常に法令、規則及び当該宗教法人を包括する宗教団体が当該宗教法人と協議して定めた規程がある場合にはその規程に従い、更にこれらの法令、規則又は規程に違反しない限り、宗教上の規約、規律、慣習及び伝統を十分に考慮して、当該宗教法人の業務及び事業の適切な運営をはかり、その保護管理する財産については、いやしくもこれを他の目的に使用し、又は濫用しないようにしなければならない。」




また、根本規定である「規則」を変更するためには会社における定款変更と類似のプロセスを経なければなりません。すなわち、




「宗教法人は、規則を変更しようとするときは、規則で定めるところによりその変更のための手続をし、その規則の変更について所轄庁の認証を受けなければならない。この場合において、宗教法人が当該宗教法人を包括する宗教団体との関係(以下「被包括関係」という。)を廃止しようとするときは、当該関係の廃止に係る規則の変更に関し当該宗教法人の規則中に当該宗教法人を包括する宗教団体が一定の権限を有する旨の定がある場合でも、その権限に関する規則の規定によることを要しないものとする。
2 宗教法人は、被包括関係の設定又は廃止に係る規則の変更をしようとするときは、第二十七条の規定による認証申請の少くとも二月前に、信者その他の利害関係人に対し、当該規則の変更の案の要旨を示してその旨を公告しなければならない」(宗法第26条)




ここでいう、被包括関係というのは、「神社本庁」と「富岡八幡宮」の関係をイメージしてもらえればわかりやすいと思います。宗教団体は宗教法人法第2条において二種類に区分されており、第1項で定義される、「礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体」を、「単位宗教団体」と呼び、第2項で定義される、「前号に掲げる団体を包括する教派、宗派、教団、教会、修道会、司教区その他これらに類する団体」を、「包括宗教団体」と呼びます。神社本庁に係属していた時期の富岡八幡宮は宗教法人法上は、「被包括宗教団体」(すなわち、神社本庁に「包括」される)に当たるわけです。




で、26条2項にあるように、被包括関係の廃止をする場合には「信者その他の利害関係人」に対して2か月以上の期間をあけて公告しなければならない。なので富岡八幡宮はおそらくこのプロセスを経て、神社本庁から離脱しているはずです。このことは、「宮司」を選任する手続きについて重要な意味を持ちます。なぜなら、宮司は宗教法人の「代表役員」にあたるので、登記をしなければその選任について第三者に対抗できず、宮司を選任するためには包括宗教団体の承認が不可欠だからです。




代表役員の選任方法については宗教法人法に規定はなく、規則の定めるところによる。この定め方には講学上、三つのあり方があるとされます。①充当制、②任命制、③選挙制、の三つです。



「充当制」というのは、宗教法人の母体団体(すなわち「宗教団体」)の自治規範によって選任された宗教主宰者である住職、宮司などが、そのまま代表役員に充てられる場合。「任命制」とは、包括宗教団体の統理者等が被包括宗教法人の代表役員を直接任命する場合。「選挙制」とは、代表役員を選挙、又は規則で定める選任機関によって選任する場合です。




例えば、全国に約8万社あるとされる神社を統括する宗教法人「神社本庁」の内規では、「神社は宮司をもって代表役員とする。」と定められていますが、これは宗教団体上の「宮司」をもって、宗教法人法上の「代表役員」に充てる、ということなのです。これがすなわち充当制です。




ですから、この場合においては、富岡八幡宮の「宮司」は神社本庁および富岡八幡宮の内規によって「代表役員」に充当されるので、「宗教法人・富岡八幡宮」が「宗教法人・神社本庁」と包括関係にあるならば(あくまで法律上の包括関係であることに注意してください。「宗教団体」として各神社の序列とは全く別問題なのです。)、その選任手続においては神社本庁の内規と富岡八幡宮の内規が両方関わってくることになります。




それゆえ、登記手続きにおいては富岡八幡宮の内規、および神社本庁の内規と、代表役員の選任を証する書面についての認証が必要になります。この内規には、通常以下のような文言が組み込まれています。




「神社の代表役員は、神社の宮司の職にある者をもって充てる。神社の代表役員は、神社本庁の統理から宮司に任命される。宮司の進退は、代表役員以外の役員の具申により、統理が行う。」




ここで「統理」というのは、包括宗教団体(ここでは神社本庁)の宗教主管者を謂います。すなわち、ここで言っているのは、神社本庁の統理が包括下の神社の具申により「宮司」を任命するということ、そしてその「宮司」が、宗教法人法上の「代表役員」として充てられる、ということなのです。この場合ですと、登記申請において具体的に求められる添付書面は、宮司の選任を証する書面として、神社本庁の統理による宮司の任命書(辞令)、神社本庁の規則と、富岡八幡宮の規則の抜粋、となります。変更を証する書面については宗教法人法第63条第3項において、「規則」については各種法人等登記規則の第5条に規定されています。




さて、この包括関係から離脱した場合にはどうなるでしょうか?




事件の記録によれば、「茂永容疑者の解任後は父親が宮司に復帰していたが、高齢のため2010年に退任。これを受けて、長子さんを宮司にするよう、八幡宮は全国の神社を統括する神社本庁に具申した。ところが、神社本庁から回答がなく、数年にわたり宮司が任命されない状態が続いていた。2017年に入って任命しない理由を照会する文書を神社本庁に送ったが、返事がなかったため、神社本庁を9月28日に離脱。その後、長子さんが宮司になったという。」とされているところから、時系列的には、2017年の9月の離脱後は、包括関係を解消した状態で現宮司を選任していることになります。これが事実だとすれば、富岡八幡宮は宗教法人法上の包括関係を離れ、「単立宗教法人」となっているので、代表役員の選任には神社本庁の認証は求められないことになります。




なお顧問弁護士の話によれば、現在「宮司代務者」を選任して一時的に社務を取り仕切ることになるとのことですが、この宮司代務者というのは宗教法人法では「代表役員代務者」となります。代表役員代務者とは、「代表役員又は責任役員が死亡その他の事由に因つて欠けた場合において、すみやかにその後任者を選ぶことができないとき。」又は、「代表役員又は責任役員が病気その他の事由に因つて三月以上その職務を行うことができないとき。」に置かなければならないものとされています(宗法第26条)。あくまで臨時に置かれるものですが、法律上の代表権限を有しているのでこれも登記事項になるのです。今後は内規に従って、正式に代表役員が置かれることになるものと思われます。

私が稽古を再開しようと思うに至ったのは、一つには「責任」という問題があるのです。



650年も続いている伝統芸能の世界に片足の先っちょくらい突っ込んでしまった以上、もうそれは、その世界の一端にいると言ってもいいわけで、そういう状況にいる人間が、その責任を何らかの形で還元していく必要性は前から感じていたのですが。



「責任」というのは、教育的な責任、とは違うと思います。曲がりなりにも70年続いている伝統のクラブに所属して記念の行事で能の舞台に上がらせてもらったことの意味、について、その重みを一言で表現するならそれは、責任、という言葉にしかならないのではないか、という意味ですね。



「還元」というのは、先輩が後輩に対してする教育的配慮、というのではなく、もっと広い、文化的、社会的な意味での還元、ということを考えています。広告メディア的なことをやろうというのでもないです。そうではなく、私自身がそれを「体現」していくことが還元なのではないかと最近は考えています。



ここに至るまでにはそれなりの時間がかかったのだけど、一つには、その「責任」の問題をどう捉えたらよいのか、自分でも葛藤があったからです。安易に回帰することは許されなかった。所謂「ナショナリティ」から距離を取りたいという気持ちもあった。



「能楽」に対する近年のメディアの風潮というか、動きに対して私は少し違和感を持っていて、それは「スーパー歌舞伎」的なものを能楽に導入していこうとする動きに対する反発みたいなものです。でもまあ、それはここでは大した問題じゃない。私自身の「責任」というのは、もっと個人的なものだから。



先生にとって能楽との出会いは必然だったのかもしれないが、私はまだその境地には至っていない。一生至らないかもしれない。だから、「責任」という言葉で胡麻化しているとも言える。その胡麻化しに、まず身を委ねてもいいのかもしれない。というより、そうせざるを得ない。



「責任」というのは「必然」の代替物なのだ、ということです。必然に至らない、辿り着けないから、責任をとる。必然を覚知できる人ならば責任という言葉は使わないでしょう。



能楽の持つ重力に引かれている、それを人生におけるマクロな次元で捉える言葉を私は知らない。しかし、私が探究しているテーマになくてはならないものがそこにあることは確かで、だから本当は責任という超自我的表現が適当でないことはよく分かっているつもり。



そもそも何故私が能楽から距離を取っていたのかと言えば、一つには私が西洋史に耽溺していたからでもあります。ナショナリティから一歩身を引く必要性があった。言語とナショナリティの問題が私の研究テーマだったからです。



就職してからは法制史の方向に関心が移ると同時に、ナショナリティを体現する必要性に迫られるようになった。それまで客体的なテーマであったナショナリティを、自ら引き受けなければならない立場になった時に、それまでのバランス感覚を維持することが困難になっていったのです。



ナショナリティへの単純な回帰というのは許されない。一度距離を置いたものを身に引き受けることで内在化するだけでは幼児退行と同じであるから、そこに葛藤があった。何らかの形での止揚、アウフヘーベンが必要であったわけです。



結婚はその端緒になった。私の中で新たな糸口が出来たように思う。一言で言えば、身体の組成が変化した。二胡の音色が何かを齎したのかもしれない。それまで客体化、主体化の狭間で揺れ動いていた能楽/ナショナリティが少しづつ、自分の身体の中で一定の位置を持つようになっていったように思う。



責任というのは、だから方便だ。回帰するのでもなく、退けるのでもない距離感を実現するための経路に過ぎない。そして私は責任という表現が好きではない。



これからの10年、20年を見据えて、私は自ら選択をしている。どこに辿り着くのかは知れない。しかし、今必要なことだけは知っている。




「そもそもこの問題が解決可能なのかという問題は残る。ここまで、偽の手がかり問題を軸に作品を分析してきた結果、むしろその解決不能の難問を、いかにして解決しているかのように見せかけるのかということが、本格ミステリの変容を生み出してきたと把握する方がより適切なのかもしれない。」同書、p,114.



この研究の功績の一つは、所謂「後期クイーン的問題」と言い慣わされる「探偵小説の不完全性定理」に纏わる問題点は、ロジックにあるのではなく、むしろ、レトリックにこそあるのではないかと指摘した点だと思います。



新本格ミステリがブームを巻き起こした時代状況というのは、日本においては特に人文研究の界隈で「言語論的転回」というパラダイムシフトが起きていた時期と重なる。これは歴史学においては、二宮宏之先生が指摘していたように、「物語り論的転回」と呼ぶべき展開を辿った。最近完訳が成ったヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー』の紹介や、野家啓一氏の物語論、富山太佳夫氏や上野千鶴子氏の歴史学に対する批判などが出てくるわけだが、ミステリ界隈においては新本格ムーブメントがそれの対応物になるのではないか、というのが私の見方。



そもそも社会派ミステリの「リアリティ」に対する新本格派の批判というのは、突き詰めれば、「テキスト」としてのミステリ小説をどう構築するか、という点に帰着するように思えるのだけど、新本格派はミステリのテキスト性により意識的だったと言えるのではないか。単純化するなら、新本格派の登場はミステリが「社会のリアリティ」の表現なのではなく、テキストに過ぎないことを認めた上で、フィクションとしての可能性を意識的・人工的に、更にはメタ的に追及した一群の作品であると認識できるのではないか、ということに思い至る。



このようにして見るならば新本格派が担うリアリティ(真実の真実らしさ)と、社会派の担うそれがまるで違うものであることが了知できる。ナラティヴの可能性と「物語としての歴史」を意識的に方法論の中に取り入れた歴史家の著述が日本に紹介されるようになってきたのと同じ時期に、物語、フィクション、メタ構造を強く意識した作品がミステリの流れに登場してきたことは偶然ではないはず。



従来その「ロジック」の解析ばかりに焦点が当てられてきたミステリ研究(そもそも文学研究者がミステリ研究に本格的に参入してきたのはこの研究が端緒である)に「レトリック」の重要性を指摘してみせた本書の射程は、「他の時代・他の社会の本格ミステリでも、その時々の何かがその穴を塞いでいるはずだ。」という指摘に示される。エラリー・クイーンの時代において推理小説の「確からしさ」を支えたものが何であったのか?これを問うことはつまり、各々の時代には各々の時代の確からしさがある、という認識を前提に据えて歴史を読むということに他ならない。勿論、こうした認識は「ポスト・トゥルース」の時代における認識論を考察する際にも意義あるものとなる。その意味で、本書の問題提起は広く、深い。

昨日起雲閣に行った時に、三島由紀夫の新婚旅行は熱海だったのかあ、とやけに感慨深くなったのですけど、ベタにベタな場所を行くというのもそれはそれでオツなものだと思うのですよね。ハワイとかさ。





GWどこ行くか決めかねてる時に、そうだ、熱海へ行こう、と思い立ったのも、ベタな観光地に行くことで得られるエクスタシーというか、そういうものを求めてのことだと思うのですよね。少し前まで、夏休みにハワイとか行く人たちを軽蔑したりしていたのですが、最近は少し心境も変化してきましたね。





聞くところによれば、DAIGOと北川景子氏も新婚旅行はとりあえず熱海とかいいんじゃね、的な気分になっていたらしいじゃないですか。





舌の肥えた芸能人が、とりあえず熱海(ATM)というのは、え、そんな卑近な場所でいいの!?みたいな感覚を起こすと思うんですけど、そこに卑近さを新しさに変えていく感性があるような気がするんですよね。私も今回熱海に(半ば新婚旅行気分で)行ってみて、ATMのよさを再認識させられました。





例えば最近、キラキラ系女子の間でハワイが再ブームを巻き起こしているのと同じような文脈で、熱海再発見、みたいな現象もあるのかな、という気がするんです。箱根もいいね、湘南も素敵よね、でもあえて熱海とか通な感じじゃね、みたいな雰囲気になってきているような気がします、個人的には。





少し前まで熱海といえば、うらぶられた観光地、おじさんとかおばさんが連休にこぞって行く場所、つまりはオワコン、みたいな、古き良き昭和の老害(ひどい)みたいなイメージあったと思うんですけど、風向きが少し変わってきたなあ、という気がするのは、JR東日本が去年から「伊豆クレイル」という豪華列車を小田原ー伊豆急下田間で走らせるようになってからだと思います。高級化とグローバル化が進む箱根に飽き飽きした人たちの目が、あれで伊豆半島に再び注がれることになった。





JR東日本はそういう風向きを間違いなく意識していたと思います。話をハワイに転じるなら、若い女性のハワイ再ブームにうまく乗ったのはかの「テラスハウス」というイケイケ系の兄ちゃん姉ちゃんたちがあれやこれやするチャラいテレビ番組であった。
https://www.youtube.com/watch?v=woWAxQmpS3U



湘南からハワイへの舞台チェンジというのは、視聴者の予想を良くも悪くも裏切る展開だったと思いますが、何はともあれ、狙い通りの反響を起こしたようです。「箱根」から「伊豆・熱海」へのシフトチェンジにも背景は異なりますが、同様の文脈を感じます。





最近「グアム」とか「サイパン」っていう名称をやめて「マリアナ諸島」という名称で旅行会社が売り出しているのも、ブームの再点火を狙っての戦略だという話を聞いたことがあります。ハワイが一段落して、その後釜を狙ってのことだと思いますが、こちらはなかなか厳しそうです。





今の20代半ば~30代くらいの人の親にあたる、団塊から団塊ジュニアの世代が謳歌した、伊豆、熱海、ハワイ、という「ベタな」場所が再ブームを迎えているというのは、ある意味必然性があります。おっさんおばさんらが謳歌したベタな空間・場所、が一周回って新しい感性で捉えられ始めているような。





まあでも、湘南からハワイというのは、元々テラスハウスが持っていたイケイケ系グローバリズムの方向性をより突き詰めたものだとも言えるよな。東京から少し距離があるが故に、彼岸の出来事である(それゆえ純粋に視聴者として楽しめる)物語への「憧れ」が薄まった時に、更なる彼岸が求められた。





テラスハウス・ハワイ編というのは、なんか遠すぎてよくわからんなあ、と思うのですが、その遠さの反対に、「熱海」があると思うと腑に落ちるんですよね。ああ、そうか、熱海はアンチ・グローバリズムの急先鋒なんだな、と、変に納得しました。





昨今、様々な事象でグローバリズム対アンチ・グローバリズムの対立が先鋭化していますが、「ハワイ」と「熱海」という、まったく関係性を持たない二つの地域のメディア環境を眺めてみることで見えてくる風景があるように思う。そんな視点で、ベタな観光地を眺めてみるのも面白いと思います。






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