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- 04/28 [PR]
- 03/20 長い道草
- 02/14 「情報自由主義」と「情報保護貿易主義」
- 02/14 読書感想文
- 02/14 「目の前にいくらでも可能性が開けている」ということについての考察。
- 02/14 書き初め
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修了証をもらってきた。
まあ、考えてみれば短い三年間だったと思う。タイトルの意味は文字通り、自分の今の心境を表している。
私にとってのこの三年間は私にとってしか意味がない、と思う。
だから、他人からそのことの意味を深く問い詰められても、満足に答えられる気がしない。道草、とはアイロニーではなく、率直な気分である。
私が「入院」したのはさしたる理由があったわけでもなく、ましてや「志」など皆無であったから、「道草」という表現は「自分にとっては」極めて適切な表現なのだ。
ある人から、「君にとっての三年間はなんであったのか」と聞かれたら、私としてはそう答えるしかない。しかしそれでは相手は満足してくれないだろうから、しかたなく、「志があるふり」をしている。
「学位」というものが神聖な何かであった時代に生きた祖父母は私の証書を見てえらく感動してくれた。それだけはよかったと思っている。もちろん、親孝行などした覚えなどない。
学問の世界で生きていくとかいかないとか、今の私にはどうでもよいと思えるのは、そんな家族の素朴な表情を見ることができたからかもしれない。もともとこの世界で食っていく気などさらさらなかったから、つまらないしがらみとプライドにつきまとわれるよりはよほどよかったのではないか。そのくらい、今の私は「軽い」。
では、あらためて、「長い道草」とは私にとってどんな意味があったのか。
それは端的に言えば、自分の「軸足」をひとつ、持つことができたことだと思う。物事を見る視点、つまりは「専門」と呼べるような何がしかの知識と作法を身に着けることは、学士の身分ではかなわなかっただろう。
自分の中に「テーマ」を複数持っておくことは大事だと、いつかI先生に言われたことがあるが、最近ようやくそのことの意味がおぼろげながらわかってきた気がする。何か一つのことを深く追及することは、広く浅く、「何でも屋」を気取るペダンティスムよりはるかに重要な知的態度であるように思われる。
「蛸壺」という表現は「専門性」についての極めて一面的な解釈に則っている。専門性すら持てないものが「蛸壺」を批判するにはあたらない。専門性とは「軸足」のことであり、軸足を持つからこそよりダイナミックに世界に参入できるのである。そしてその軸足を「複数」持つことが重要なのだろう。
専門性とは、対象となる事物に深く切り込むことで、「そのもの以上の」価値を見出す営為であると言える。事物そのもの、にとどまることはできない。そしてその「知的深み」こそが、真に意味ある知的生活を作り上げると言えるし、それについては私の見解は価値相対主義的ではないのだ。
なぜ「専門性」だけが真に意味ある知的生活を作り上げると言えるのだろうか。私も現時点では洗練された表現を用いてそのことの真意を述べることは難しいが、しいてたとえるなら、「彫刻」を彫り込む作業と似ているのではないか。
一つの彫刻が「作品」となるためには、巨木の表面を滑らかに削り取る作業だけではなく、大胆に深く彫り込む作業も所々で必要になる。そのような感覚で、人間というものもまた、当たり障りのない「一般教養」に甘んじずに、テーマ性を定めて、「深く彫り込む」作業があってこそ、芸術性を持った作品に仕上がるのではなかろうか。最初から「完成品」が見えているはずもないが、はじめから「きれいな」「でこぼこのない」形を目指しては、なにものにもならないだろう。
これをより主観に即した形で言い換えるなら、世界を見る目はできるだけ凸凹していたほうがいい、ということになる。人間の目玉のレンズには凹凸がついており、だからこそ物事の形を立体的に、ヴィヴィッドに把握することができるわけだが、それとのアナロジーで、知性というものもまた、所々とがっていたり、凸凹していたり、ある程度の凹凸がなければ、世界の色形をより明瞭な形で認識することはできないのではなかろうか。あんまり平らでツルツルだと、世界の認識そのものも平らでツルツルなものになってしまう。不定形でいびつな要素を自らの中にある程度認めることが、より「豊かな」現実の認識を可能にするように思われるのである。
そしてその「歪さ」は、複数抱えていたほうがいい。なぜなら、「たった一つの歪」は認識のゆがみや偏りをもたらすが、「複数の歪」は認識の「乱反射」をもたらし、世界の複数性と多様性を大いに認識することにつながるからだ。
「歪さ」は「矯正」によって「平ら」にされるものではなく、むしろ「歪さ」は別の「歪さ」を抱きかかえることによって自分自身をより豊かにしてくれるのではないか。ちょっと感覚的な話になってしまうが、今の私にはそのように思えるのである。
つまり、私にとってこの「道草」は、そのような「軸足」であり「歪さ」でもあるようなものを彫り込んだ期間であったということになるだろうか。少なくともそのような方向性をちょっとだけ、進めたことになるかと思う。
私は今後、この軸足、歪さをより彫り込みながら、またいくつかの軸足、歪さを抱きかかえていくだろう。そして私なりに、自分が生きるこの世界の「真理」を見極めていきたい。
まあ、考えてみれば短い三年間だったと思う。タイトルの意味は文字通り、自分の今の心境を表している。
私にとってのこの三年間は私にとってしか意味がない、と思う。
だから、他人からそのことの意味を深く問い詰められても、満足に答えられる気がしない。道草、とはアイロニーではなく、率直な気分である。
私が「入院」したのはさしたる理由があったわけでもなく、ましてや「志」など皆無であったから、「道草」という表現は「自分にとっては」極めて適切な表現なのだ。
ある人から、「君にとっての三年間はなんであったのか」と聞かれたら、私としてはそう答えるしかない。しかしそれでは相手は満足してくれないだろうから、しかたなく、「志があるふり」をしている。
「学位」というものが神聖な何かであった時代に生きた祖父母は私の証書を見てえらく感動してくれた。それだけはよかったと思っている。もちろん、親孝行などした覚えなどない。
学問の世界で生きていくとかいかないとか、今の私にはどうでもよいと思えるのは、そんな家族の素朴な表情を見ることができたからかもしれない。もともとこの世界で食っていく気などさらさらなかったから、つまらないしがらみとプライドにつきまとわれるよりはよほどよかったのではないか。そのくらい、今の私は「軽い」。
では、あらためて、「長い道草」とは私にとってどんな意味があったのか。
それは端的に言えば、自分の「軸足」をひとつ、持つことができたことだと思う。物事を見る視点、つまりは「専門」と呼べるような何がしかの知識と作法を身に着けることは、学士の身分ではかなわなかっただろう。
自分の中に「テーマ」を複数持っておくことは大事だと、いつかI先生に言われたことがあるが、最近ようやくそのことの意味がおぼろげながらわかってきた気がする。何か一つのことを深く追及することは、広く浅く、「何でも屋」を気取るペダンティスムよりはるかに重要な知的態度であるように思われる。
「蛸壺」という表現は「専門性」についての極めて一面的な解釈に則っている。専門性すら持てないものが「蛸壺」を批判するにはあたらない。専門性とは「軸足」のことであり、軸足を持つからこそよりダイナミックに世界に参入できるのである。そしてその軸足を「複数」持つことが重要なのだろう。
専門性とは、対象となる事物に深く切り込むことで、「そのもの以上の」価値を見出す営為であると言える。事物そのもの、にとどまることはできない。そしてその「知的深み」こそが、真に意味ある知的生活を作り上げると言えるし、それについては私の見解は価値相対主義的ではないのだ。
なぜ「専門性」だけが真に意味ある知的生活を作り上げると言えるのだろうか。私も現時点では洗練された表現を用いてそのことの真意を述べることは難しいが、しいてたとえるなら、「彫刻」を彫り込む作業と似ているのではないか。
一つの彫刻が「作品」となるためには、巨木の表面を滑らかに削り取る作業だけではなく、大胆に深く彫り込む作業も所々で必要になる。そのような感覚で、人間というものもまた、当たり障りのない「一般教養」に甘んじずに、テーマ性を定めて、「深く彫り込む」作業があってこそ、芸術性を持った作品に仕上がるのではなかろうか。最初から「完成品」が見えているはずもないが、はじめから「きれいな」「でこぼこのない」形を目指しては、なにものにもならないだろう。
これをより主観に即した形で言い換えるなら、世界を見る目はできるだけ凸凹していたほうがいい、ということになる。人間の目玉のレンズには凹凸がついており、だからこそ物事の形を立体的に、ヴィヴィッドに把握することができるわけだが、それとのアナロジーで、知性というものもまた、所々とがっていたり、凸凹していたり、ある程度の凹凸がなければ、世界の色形をより明瞭な形で認識することはできないのではなかろうか。あんまり平らでツルツルだと、世界の認識そのものも平らでツルツルなものになってしまう。不定形でいびつな要素を自らの中にある程度認めることが、より「豊かな」現実の認識を可能にするように思われるのである。
そしてその「歪さ」は、複数抱えていたほうがいい。なぜなら、「たった一つの歪」は認識のゆがみや偏りをもたらすが、「複数の歪」は認識の「乱反射」をもたらし、世界の複数性と多様性を大いに認識することにつながるからだ。
「歪さ」は「矯正」によって「平ら」にされるものではなく、むしろ「歪さ」は別の「歪さ」を抱きかかえることによって自分自身をより豊かにしてくれるのではないか。ちょっと感覚的な話になってしまうが、今の私にはそのように思えるのである。
つまり、私にとってこの「道草」は、そのような「軸足」であり「歪さ」でもあるようなものを彫り込んだ期間であったということになるだろうか。少なくともそのような方向性をちょっとだけ、進めたことになるかと思う。
私は今後、この軸足、歪さをより彫り込みながら、またいくつかの軸足、歪さを抱きかかえていくだろう。そして私なりに、自分が生きるこの世界の「真理」を見極めていきたい。
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ネットをやっていると、「自分よりすごいやつ」にすぐ遭遇する。リアルの生活では「そこそこやれてる」と思う自分自身の漠然とした「自信」が打ち砕かれる経験をした人も多いのではないだろうか。
そういうことを思うとき、「自分に入ってくる情報を制限する」というアナログな処世術の意外な効力を発見するのです。つまり、意識的に「井の中の蛙」になる、ということ。
知ろうと思えばクリック一つで知ることができる世の中、というのは恐ろしいもので、人類史上、これほど多くの人が簡単に「自分の世界的な立ち位置」を把握できてしまうような時代は、かつてなかった。昔は「村の中のオラ」というものさしでよかったのが、今では「世界の中の私」というものさしになった。
でも、それは「ネット」という世界に常時身を浸していたら、という話。ネットサーフィンをたいしてやらない人にとっては、今でもある程度は、「狭い世界」の中だけで生きていけるような気もする。すると、自分の生活にとって、本当に必要な情報を仕入れる時以外は、ネットをいじらない、という倹約的な生き方も、現代的な意義を持ち得るんじゃかろうか、と思ったりする。
市場における商品、と同じように、あるいはそれのアナロジーとして、人間の「アイデンティティ」もまた、「情報交換」という人間同士の記号的相互作用の中で成り立っている。「あの人と比べて私は……」といったふうに、多かれ少なかれアイデンティティというものは記号的存在としての「他者」との関係の中で構築されるものだ。もっと言うと、アイデンティティの問題というのは「他者とは誰か」という問題である。
その他者を誰に措定するかによって、アイデンティティも変化する。どこでも同じように振舞う人がいないのは、人間の人格というものがそれだけコンテクスト依存的であるということでもあり、逆に言えば、人間の可塑性をも、示している。だからこそ多くの賢人は「付き合う人を選べ」と言うし、「場所が変われば人も変わる」というのだ。
「希望格差社会」という言葉が一時期流行った。後期資本主義社会においては、社会階層が固定化され、生まれによって、社会的上昇の可能性が決まってしまう。そこでは「希望」という抽象的な理念すら、すべての人に均質に保証されるものではなく、その人の社会階層いかんによって、持てる希望の大きさも重さも変わってしまう、というほどの意味だろう。
考えてみると、これも、「知ろうと思えば知ることができる」が故の悲劇ではなかろうか。「私より希望を持てる人がいる」ということを「知る」ことができてしまうが故に、その「他者」との相対的な不遇感に苦しむのである。
もちろん、これは一面的な見方に過ぎない。そのような「格差」が現に存在し、それが「社会階層」の固定化と結びついた現象である、ということもまた、真実であるように思う。しかし、そうした「希望の格差」は、そのような言説が「知られる」ことで、初めて意味を持つことも確かである。
今、世界中で起こっている政治的動乱の多くは、こうした「知識の自由化」という人類史上空前の知識社会学的変化と対応関係にあるように思う。これまで「発展途上国」とされてきた人々が「先進国」の利害について多くを知るようになり、自分たちの「相対的な不遇感」を徐々に認識するようになっていった結果、大衆的な動員が可能になったのだ。そしてこのことは、現代日本における「希望格差社会」の問題とも通底している。
今、世界中の多くの「恵まれない地域の人々」は「知ることの自由」を欲して戦っている。しかし我々日本人はむしろ、その「知ることの自由」の故に、苦しんでいるようなところがあるのではなかろうか。もっと言うと、今や私は、「知らないことの自由」の効用を認識しつつあるのである。
「知ることの自由」を極限まで拡大していく潮流を「情報自由主義」と仮に名付けるとすると、「知らないことの自由」を求める立場は「情報保護貿易主義」ということになるだろうか。言うまでもなく、経済政策とのアナロジーとして、記号の市場的性格を把握したものである。
ジョージ・オーウェルの「1984」には「二重思考」という概念が出てくるが、今まさに「情報自由主義」の中で溺れ死しようとしている人にとって救いとなる処世術は、「知っているけれども知らない」という認識のあり方、すなわち、情報社会における「二重思考」なのではないだろうか。私は私に都合の悪いことを知っていながら、知らない、という認識の仕方こそ、激しいアイデンティティ=記号の市場競争の中で自らの実存を保護する方法論ではないか。
記号的な意味における「競争」を降りる、というある意味「後ろ向き」な処世術がこれから見直されるに違いない、と私は思う。この問題は、例えば「生涯学習社会」や「オタク的生き方」を考える際にも関係してくるのだろうが、これはまたちがう機会に考察してみよう。
そういうことを思うとき、「自分に入ってくる情報を制限する」というアナログな処世術の意外な効力を発見するのです。つまり、意識的に「井の中の蛙」になる、ということ。
知ろうと思えばクリック一つで知ることができる世の中、というのは恐ろしいもので、人類史上、これほど多くの人が簡単に「自分の世界的な立ち位置」を把握できてしまうような時代は、かつてなかった。昔は「村の中のオラ」というものさしでよかったのが、今では「世界の中の私」というものさしになった。
でも、それは「ネット」という世界に常時身を浸していたら、という話。ネットサーフィンをたいしてやらない人にとっては、今でもある程度は、「狭い世界」の中だけで生きていけるような気もする。すると、自分の生活にとって、本当に必要な情報を仕入れる時以外は、ネットをいじらない、という倹約的な生き方も、現代的な意義を持ち得るんじゃかろうか、と思ったりする。
市場における商品、と同じように、あるいはそれのアナロジーとして、人間の「アイデンティティ」もまた、「情報交換」という人間同士の記号的相互作用の中で成り立っている。「あの人と比べて私は……」といったふうに、多かれ少なかれアイデンティティというものは記号的存在としての「他者」との関係の中で構築されるものだ。もっと言うと、アイデンティティの問題というのは「他者とは誰か」という問題である。
その他者を誰に措定するかによって、アイデンティティも変化する。どこでも同じように振舞う人がいないのは、人間の人格というものがそれだけコンテクスト依存的であるということでもあり、逆に言えば、人間の可塑性をも、示している。だからこそ多くの賢人は「付き合う人を選べ」と言うし、「場所が変われば人も変わる」というのだ。
「希望格差社会」という言葉が一時期流行った。後期資本主義社会においては、社会階層が固定化され、生まれによって、社会的上昇の可能性が決まってしまう。そこでは「希望」という抽象的な理念すら、すべての人に均質に保証されるものではなく、その人の社会階層いかんによって、持てる希望の大きさも重さも変わってしまう、というほどの意味だろう。
考えてみると、これも、「知ろうと思えば知ることができる」が故の悲劇ではなかろうか。「私より希望を持てる人がいる」ということを「知る」ことができてしまうが故に、その「他者」との相対的な不遇感に苦しむのである。
もちろん、これは一面的な見方に過ぎない。そのような「格差」が現に存在し、それが「社会階層」の固定化と結びついた現象である、ということもまた、真実であるように思う。しかし、そうした「希望の格差」は、そのような言説が「知られる」ことで、初めて意味を持つことも確かである。
今、世界中で起こっている政治的動乱の多くは、こうした「知識の自由化」という人類史上空前の知識社会学的変化と対応関係にあるように思う。これまで「発展途上国」とされてきた人々が「先進国」の利害について多くを知るようになり、自分たちの「相対的な不遇感」を徐々に認識するようになっていった結果、大衆的な動員が可能になったのだ。そしてこのことは、現代日本における「希望格差社会」の問題とも通底している。
今、世界中の多くの「恵まれない地域の人々」は「知ることの自由」を欲して戦っている。しかし我々日本人はむしろ、その「知ることの自由」の故に、苦しんでいるようなところがあるのではなかろうか。もっと言うと、今や私は、「知らないことの自由」の効用を認識しつつあるのである。
「知ることの自由」を極限まで拡大していく潮流を「情報自由主義」と仮に名付けるとすると、「知らないことの自由」を求める立場は「情報保護貿易主義」ということになるだろうか。言うまでもなく、経済政策とのアナロジーとして、記号の市場的性格を把握したものである。
ジョージ・オーウェルの「1984」には「二重思考」という概念が出てくるが、今まさに「情報自由主義」の中で溺れ死しようとしている人にとって救いとなる処世術は、「知っているけれども知らない」という認識のあり方、すなわち、情報社会における「二重思考」なのではないだろうか。私は私に都合の悪いことを知っていながら、知らない、という認識の仕方こそ、激しいアイデンティティ=記号の市場競争の中で自らの実存を保護する方法論ではないか。
記号的な意味における「競争」を降りる、というある意味「後ろ向き」な処世術がこれから見直されるに違いない、と私は思う。この問題は、例えば「生涯学習社会」や「オタク的生き方」を考える際にも関係してくるのだろうが、これはまたちがう機会に考察してみよう。
「感想」なんて二行くらいに収まるよね。普通に書けば。わざわざ原稿用紙に長々と書かせるのは、心の中のことを言葉にすることを要求しているのではなく、「感想文」という「文体」を要求しているということなんだよ。
「国語」でやるような、文章を書く訓練、というのは、思いを言葉にする訓練というよりも、言葉で思いを作り出す造形の訓練、みたいなところがある。「思い」が先にあるかどうかなんてことは実はどうでもいい。それっぽいこと、が書けるかどうかなのだ。
文章が書けるようになると、思い、もついてくるだろう。「身に付いた形」は「身」と見分けがつかなくなる。文章という「形」を造ることを通じて、「感想」が生まれてくるのではないだろうか。
そういう意味では、「文章を書かせる訓練」という、一見すると価値中立的な教育にも、道徳的色彩が付きまとう。「文章が書けない人」は思い抱いたものを言葉にする力がついていない、ということで訓練の対象にされる。しかし、結局、ありきたりの言葉でありきたりの「感想」を綴る訓練をさせられているに過ぎない。
読書感想文、なんて、どうあがいても面白いものになるはずがないし、すべての人が何らかの思いを持つと想定している時点で、「形式による道徳」なんだよ。書く、という行為によって、「感想」なるものを造り出させる道徳的教育。
やっぱ予備校の先生、って、研究者くずれが多いのか。「うちくる」での林修氏の話。
「この業界には挫折を経験している人が多い」というのは、「挫折を経験できた人が多い」ということなんだろうな。挫折を「挫折」として認識し、それを糧にして生きていくという意思があるからこそ、その場所にいることができるんでしょう。客観的な意味での挫折、なんてものはない。
挫折経験、みたいなものって、いろいろ種類があるけれど、そもそも「挫折」を「経験できない」人もたくさんいる。世渡りがうまい、とか、そういうことじゃなく。その人が「挫折」だと思わなければ、その人の人生における経験としての挫折は存在しないわけで。
目の前のことに夢中になる、という経験をしたことのない人にとっては挫折経験はないだろう。挫折、というのは「勢い」があってこその「挫折」なわけで、そもそも「のめり込む」という前段階を必要とする。ESとかで挫折経験の有無を問うのは、そういう理由からだろう。
けれど、もう一つ別の角度からの考察を加えると、「披瀝できる挫折」と「披瀝できない挫折」があると思う。社会的に価値づけられているのは前者で、後者はだいたい無意識のレベルに追いやられてしまう。これがいわゆる「黒歴史」なんだろう。
そういう黒歴史だって、昇華さえできれば成長の糧にはなる。けれど、黒歴史はそもそも他者に披瀝できる社会性を持たないから、社会的過程としての昇華は起こりにくい。そういう黒歴史的な体験の方が重みを持っている人にとっては、表向きの挫折経験なんて、実に潔癖で薄っぺらいものに見えることだろう。
「黒歴史」とは、個人が社会化されていく過程で、昇華される術を与えられないまま無意識の底に沈殿した、いわば、「社会的存在としての人間の残りカス」みたいなもんだと思う。ネット上でそれが可視化され、言葉を与えられるのは、ネットが無意識を漉しとる作用を持つからだろう。
表向きに(つまり社会的に)語り得る挫折経験の有無を問う、というのは、それ自体、「社会的に語り得る挫折」を要求するイニシエーションなわけで。先ほどの読書感想文の話に引きつけて言えば、これも「形式による道徳」なんだろう。
ここでも私はいつもと同じように、「ホンネとは、身に付いたタテマエであり、タテマエとは、付け焼刃的なホンネである」と言いたい。
「国語」でやるような、文章を書く訓練、というのは、思いを言葉にする訓練というよりも、言葉で思いを作り出す造形の訓練、みたいなところがある。「思い」が先にあるかどうかなんてことは実はどうでもいい。それっぽいこと、が書けるかどうかなのだ。
文章が書けるようになると、思い、もついてくるだろう。「身に付いた形」は「身」と見分けがつかなくなる。文章という「形」を造ることを通じて、「感想」が生まれてくるのではないだろうか。
そういう意味では、「文章を書かせる訓練」という、一見すると価値中立的な教育にも、道徳的色彩が付きまとう。「文章が書けない人」は思い抱いたものを言葉にする力がついていない、ということで訓練の対象にされる。しかし、結局、ありきたりの言葉でありきたりの「感想」を綴る訓練をさせられているに過ぎない。
読書感想文、なんて、どうあがいても面白いものになるはずがないし、すべての人が何らかの思いを持つと想定している時点で、「形式による道徳」なんだよ。書く、という行為によって、「感想」なるものを造り出させる道徳的教育。
やっぱ予備校の先生、って、研究者くずれが多いのか。「うちくる」での林修氏の話。
「この業界には挫折を経験している人が多い」というのは、「挫折を経験できた人が多い」ということなんだろうな。挫折を「挫折」として認識し、それを糧にして生きていくという意思があるからこそ、その場所にいることができるんでしょう。客観的な意味での挫折、なんてものはない。
挫折経験、みたいなものって、いろいろ種類があるけれど、そもそも「挫折」を「経験できない」人もたくさんいる。世渡りがうまい、とか、そういうことじゃなく。その人が「挫折」だと思わなければ、その人の人生における経験としての挫折は存在しないわけで。
目の前のことに夢中になる、という経験をしたことのない人にとっては挫折経験はないだろう。挫折、というのは「勢い」があってこその「挫折」なわけで、そもそも「のめり込む」という前段階を必要とする。ESとかで挫折経験の有無を問うのは、そういう理由からだろう。
けれど、もう一つ別の角度からの考察を加えると、「披瀝できる挫折」と「披瀝できない挫折」があると思う。社会的に価値づけられているのは前者で、後者はだいたい無意識のレベルに追いやられてしまう。これがいわゆる「黒歴史」なんだろう。
そういう黒歴史だって、昇華さえできれば成長の糧にはなる。けれど、黒歴史はそもそも他者に披瀝できる社会性を持たないから、社会的過程としての昇華は起こりにくい。そういう黒歴史的な体験の方が重みを持っている人にとっては、表向きの挫折経験なんて、実に潔癖で薄っぺらいものに見えることだろう。
「黒歴史」とは、個人が社会化されていく過程で、昇華される術を与えられないまま無意識の底に沈殿した、いわば、「社会的存在としての人間の残りカス」みたいなもんだと思う。ネット上でそれが可視化され、言葉を与えられるのは、ネットが無意識を漉しとる作用を持つからだろう。
表向きに(つまり社会的に)語り得る挫折経験の有無を問う、というのは、それ自体、「社会的に語り得る挫折」を要求するイニシエーションなわけで。先ほどの読書感想文の話に引きつけて言えば、これも「形式による道徳」なんだろう。
ここでも私はいつもと同じように、「ホンネとは、身に付いたタテマエであり、タテマエとは、付け焼刃的なホンネである」と言いたい。
コネがあるといい仕事がふってくる、ってのはマジだと思う。
でも選択肢なんてのは無数にあって、自分があらゆる可能性から選択できるなんて考えるのは幻想でしかない。ありついたものには縁があり、そうでないものには縁がなかった、と考えるには救いがある。
自分が可能な限り広い選択肢から選択できると考えることは救いになるだろうか?
むしろ目の前に開けている可能性の一部が自分の縁なのだと考える方が、選択という行為の神聖さを保てると思う。
選ぼうと思えば選べてしまう状況というのは、選ばなければ怠惰、ということになってしまう。可能性が広がるのはいいが、広げたままにしておくことはできないし、その中の大半の可能性は消え失せる。
消えた可能性は自らが存在し得たことをこれみよがしに見せつけるだけに、出現しなかった可能性よりもたちが悪い。選ぼうと思えば選べたと思わせることで人を惑わせる。
「密室の中の苦行」というのは案外耐えられるんじゃないかと思う。生きるか死ぬかしか選択肢がないなら、生きようとするしかない。しかし、窓が開かれ、世界が広がり、「よりよく生きる」という新たな可能性が生まれたとしたら?
知ることで安らぎは得られない。知ることは光を見させるが、よりよく知ることは自分の不遇感を育てるだけだ。知らないほうがいいことはいくらでもある。
しかし、「知らない方がいいことがある」ことを知ってしまえば、もう「知らないでいる」ことには耐えられないのだ。
自由になる、というのは、そういう不遇感と隣り合わせの感覚じゃないか。知ることで人は自由になるかもしれないが、そのために「不遇感」という対価をきっちり支払っているのだ。不遇感とは、皆が公平に扱われるべき、という感覚の裏側である。
自由になればなるほど、相対的な不遇感は増す。もし不遇感に悩まされたくないなら、自ら自由を切り捨てればいい。自由を捨てたって、生きることをやめるわけじゃない。
「選択肢を選ぶ時」ではなく、「選ぶことを拒絶した時」に、「生きる」という原理が生まれるんじゃないだろうか。
でも選択肢なんてのは無数にあって、自分があらゆる可能性から選択できるなんて考えるのは幻想でしかない。ありついたものには縁があり、そうでないものには縁がなかった、と考えるには救いがある。
自分が可能な限り広い選択肢から選択できると考えることは救いになるだろうか?
むしろ目の前に開けている可能性の一部が自分の縁なのだと考える方が、選択という行為の神聖さを保てると思う。
選ぼうと思えば選べてしまう状況というのは、選ばなければ怠惰、ということになってしまう。可能性が広がるのはいいが、広げたままにしておくことはできないし、その中の大半の可能性は消え失せる。
消えた可能性は自らが存在し得たことをこれみよがしに見せつけるだけに、出現しなかった可能性よりもたちが悪い。選ぼうと思えば選べたと思わせることで人を惑わせる。
「密室の中の苦行」というのは案外耐えられるんじゃないかと思う。生きるか死ぬかしか選択肢がないなら、生きようとするしかない。しかし、窓が開かれ、世界が広がり、「よりよく生きる」という新たな可能性が生まれたとしたら?
知ることで安らぎは得られない。知ることは光を見させるが、よりよく知ることは自分の不遇感を育てるだけだ。知らないほうがいいことはいくらでもある。
しかし、「知らない方がいいことがある」ことを知ってしまえば、もう「知らないでいる」ことには耐えられないのだ。
自由になる、というのは、そういう不遇感と隣り合わせの感覚じゃないか。知ることで人は自由になるかもしれないが、そのために「不遇感」という対価をきっちり支払っているのだ。不遇感とは、皆が公平に扱われるべき、という感覚の裏側である。
自由になればなるほど、相対的な不遇感は増す。もし不遇感に悩まされたくないなら、自ら自由を切り捨てればいい。自由を捨てたって、生きることをやめるわけじゃない。
「選択肢を選ぶ時」ではなく、「選ぶことを拒絶した時」に、「生きる」という原理が生まれるんじゃないだろうか。